高源寺 (行田市)
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天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、成田氏の忍城を巡って攻城戦が繰り広げられた(忍城の戦い)[1]。『忍城戦記』などによれば、家老の1人である正木利英(丹波守)[注釈 1]は城の東南に位置する「佐間口」(北緯36度8分2.69秒 東経139度27分42.36秒)を守備し、豊臣方の長束正家の軍勢と戦闘を繰り広げたとされている[1][3]。
戦後、成田氏は蒲生氏郷に預けられることになったが、正木は武士の身分を捨て現地に留まると、豊臣方、成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に高源寺を建立、守天和尚を招き開山した[1][3][4]。正木は天正19年(1591年)に没するが、その墓は境内に現存している[1][2]。
なお、行田市の都市計画道路の建設に伴い墓地が分断されたため、市内の渡柳地区(埼玉県行田市渡柳1280)に墓地を移転した[5]。移転先は上述の忍城攻めの際、豊臣方を率いた石田三成の陣屋跡と言われている[1][5]。