上野国館林(現・群馬県館林市)出身[3]。米穀商・三代正田文右衛門の二男。正田家は代々「米文」の暖簾のもとに米問屋を家業としていた。作次郎は幕末の動乱時代に成長した。幼少の時から文学を愛好し、漢学は田中泥斎に師事し、書は掖山について習得した。
小生川(現・栃木県足利市福富町)で代々代官をしていた格式の高い家柄である長家の長女幸と結婚。間もなく横浜へ出た。住居は野毛山に家を新築した。
作次郎は南京米の輸入などを業として手広く貿易を行っていた[4]。輸入商のかたわら、岸田吟香等とともにヘボン博士から英語を学んだ。1871年、風邪のため26歳で亡くなった。墓所は市川市遠寿院。