武攸曁
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武懐道の子として生まれた。天授元年(690年)、東都洛陽に武氏の七廟が置かれると、攸曁は千乗郡王に封じられた[2]。右衛中郎将となり、太平公主を妻に迎え、駙馬都尉に任じられた。右衛将軍に累進し、定王に進封された。まもなく安定郡王に改封され、麟台監・司礼寺卿・左散騎常侍を歴任し、特進を加えられた[3][4]。神龍元年(705年)、司徒に任じられ、再び定王に封じられたが、固辞して受けなかった[5]。ほどなく楽寿郡王(寿春郡王)[6]に降封され、右散騎常侍に任じられ、開府儀同三司を加えられた[3][4]。景龍2年(708年)、さらに楚国公に降封された[7]。延和元年(712年)6月9日、死去した[8]。太尉・并州大都督の位を追贈され、定王に追封された。諡は忠簡。ほどなく太平公主の陰謀が発覚すると、攸曁の墓は破壊されて平らにされた[3][4]。