武江年表
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刊行
『武江年表』は江戸・明治の二回に跨って刊行された。正編8巻は嘉永元年(1848年)に脱稿し、前4巻が翌年、後4巻が翌々年に出版された。月岑45歳の時である。巻頭では遺脱の指摘を呼びかけ、第8巻末には前4巻の訂正が附せられたほか、これに応じた喜多村信節の『武江年表補正』、関根只誠の『武江年表書入』の補註入りの写本が伝わった。
正編刊行の3年後に黒船来航があり、以後江戸・東京は幕末動乱・明治維新など激動の時代を迎えた。これに対応すべく、維新後一旦明治6年(1873年)までが纏められ、明治11年(1878年)に脱稿したが、刊行を見ないまま同年死去し、甫喜山景雄が明治15年(1882年)『我自刊我書』として続編4巻が上下に分けて刊行した[1]。また、喜多村信節の『武江年表補正』も、明治42年(1909年)、補註を抜き出したものが『武江年表補正略』として国書刊行会『続燕石十種』第一巻に収められた。
大正元年(1912年)には同じく国書刊行会刊行で、『武江年表補正』、『武江年表書入』を取り入れつつ朝倉無声自身も補校した『増訂武江年表』が出た[2]。これには「武江の書名に適合せざるを以て」第12巻の明治部分は削除されている。大正6年(1917年)には江戸叢書最後の第12巻に『武江年表・同補正略』が収載された[3]。
戦後には昭和43年(1968年)に金子光晴校訂で東洋文庫から大正元年本をもとに第12巻も含めた『増訂武江年表1・2』が出版された。平成15年(2003年)には東洋文庫版に更に今井金吾が校訂を加えたちくま学芸文庫『定本武江年表上・中・下』が出ている。