水野寅次郎
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土佐国で土佐藩士・水野幾七の二男として生まれる。立志社に加わり自由民権運動に参加。1877年、西南戦争において西郷軍に加わろうとして逮捕された[3]。1880年10月、立志社を離脱して同志と「共行社」を起こし民権運動から離れた[4]。同年10月、内務省御用掛となり[5]、さらに和歌山県少書記官を務めた[3]。
1882年に退官し、同年、東洋新報社長に就任。福地源一郎、丸山作楽と立憲帝政党を結成したが翌年に解散した。1886年、警視庁三等警視に任官。以後、小石川警察署長、内閣書記官を歴任。1896年12月、奈良県知事に就任。郡制の実施、県立八木測候所の設立、生駒郡農事試験場の設置などを推進[3]。1899年2月21日、知事を非職となる[6]。その後退官し帰郷[3]。