児玉政介
From Wikipedia, the free encyclopedia
東京府出身。小幡小二郎の長男として生まれ、児玉隼槌の養子となる[1]。第三高等学校を卒業。1915年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1916年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。内務省に入省し岩手県属となる[1][4]。
以後、三重県警視、新潟県警視、大阪府理事官、内務省社会局書記官、同省大臣官房文書課長、東京府書記官・内務部長[5]などを歴任[1]。
1934年2月、奈良県知事に就任。紀元二千六百年記念行事の準備を行う[1]。1935年1月、秋田県知事に転任。大凶作の対策に尽力[6]。1937年2月、石川県知事に転任。戦時下の対策に尽力[7]。1938年1月、厚生省体力局長に転任し、傷兵保護院副総裁、軍事保護院副総裁を経て、1940年4月、厚生次官に就任し1941年3月まで在任[8]。同年に退官[4]。
戦後、1945年12月、秋田市長に就任。1947年4月、公選初代の秋田市長に選出され、一期務めた。1978年死去。死没日付をもって従四位から従三位に進階した[9]。
