永山義在
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生涯
足利義昭の和泉国蟄居の際に誕生したとされる[5]。既に流浪の身となっていた父親の許を離れ、島津氏の食客として薩摩国に身を置き、薩摩藩士・永山某の娘婿となり、永山休(久)兵衛と称したという。なお「鹿児島県史料 旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集三」においても、大隅国に下り、永山信濃守の食客となり、その姓を借用して永山氏を称したとあり、こちらでも永山氏の娘を室にした旨が記載されている。のちに鹿児島城下に移ったとされる。
しかし、同系図では兄の義尋は登場するが、一色藤長に養育されたというもう一人の兄弟・一色義喬は登場しない[6]。義在自体は『系図纂要』にも登場するものの、その出自に疑義がもたれている人物でもある。また、永山家自体も義在が創設したのではなく、永山家は藤原姓薩摩蒲生氏分家であり、義在来鹿以前から存在していた。
平島公方側の史料、足利譜系図にも登場する。秀吉の征韓の折、その従軍を断って剃髪し高野山に隠れるが、多病のため下山し、後に薩州に渡る云々とある。