永平清規

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永平清規(えいへいしんぎ)は、鎌倉時代日本曹洞宗の開祖・道元によって書かれた禅寺の修行の心構えや規則(清規)。2巻。6篇を収録。『日域曹洞初祖道元禅師清規』『永平大清規』『永規』とも。

大正新脩大蔵経』「続諸宗部」82巻所収(No2584)。

禅の本場である南宋の禅寺の運営や禅僧各人の考え方に感銘を受けた道元は、帰国後に戻った建仁寺の、南宋の禅寺との落差を目の当たりにした結果、『典座教訓』を皮切りに、進んだ宋の禅寺運営理念、規則を日本に導入するため、『禅苑清規』を模範としてこれらの6篇を随時執筆した。

それぞれ別個に伝わってきたが、寛文7年(1667年)に、永平寺30世・光紹智堂によってまとめて開板された[1]

寛政6年(1794年)には永平寺50世・玄透即中がこれを校訂し、図を附して『校訂冠註永平清規』として出版した(流布本、永平大清規)。

内容

※以下の6篇を収録する。

『典座教訓』

嘉禎3年(1237年)春頃、道元が前年に再興された深草・観音導利興聖宝林禅寺(興聖寺)にて執筆。僧堂の食事の責任者である典座の心構えを書いた。

『辨道法』

大仏寺(後の永平寺)における修行僧の日々の修行の作法を書いたもの。吉峰寺から大仏寺に移った寛元2年(1244年)7月18日から、永平寺に改称した同4年6月15日の間に書かれたものと推測されている[1]

『赴粥飯法』

永平寺における朝(粥)・昼(飯)の食事作法を記したもの。

『吉祥山永平寺衆寮清規』

建撕記』によれば、宝治3年(1249年)正月、永平寺における衆寮での生活の心構えを書いたもの。

『對大己五夏闍梨法』

寛元2年(1244年)3月21日、越前・吉峰寺にて5年以上修行している長老に対する後輩の礼儀作法を書いたもの。62条からなる。

『日本国越前永平寺知事清規』

永平寺に改称した日である寛元4年(1246年)6月15日、僧堂運営の各部署の責任者である知事、及びその部下の小頭首の心構えを書いたもの。

現代語訳など

  • 『道元禅師清規』(大久保道舟訳註、岩波文庫、1941年)
  • 『永平元禅師清規』(町元呑空編、曹洞宗宗務庁、1974年)
  • 『永平清規』(『道元禅師全集 原文対照現代語訳』第15巻所収、小坂機融晴山俊英岩永正晴共訳注、春秋社、2013年)

参考文献

脚注

外部リンク

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