永平清規
From Wikipedia, the free encyclopedia
内容
※以下の6篇を収録する。
- 『典座教訓』
→「典座教訓」も参照
嘉禎3年(1237年)春頃、道元が前年に再興された深草・観音導利興聖宝林禅寺(興聖寺)にて執筆。僧堂の食事の責任者である典座の心構えを書いた。
- 『辨道法』
大仏寺(後の永平寺)における修行僧の日々の修行の作法を書いたもの。吉峰寺から大仏寺に移った寛元2年(1244年)7月18日から、永平寺に改称した同4年6月15日の間に書かれたものと推測されている[1]。
- 『赴粥飯法』
→「赴粥飯法」も参照
永平寺における朝(粥)・昼(飯)の食事作法を記したもの。
- 『吉祥山永平寺衆寮清規』
『建撕記』によれば、宝治3年(1249年)正月、永平寺における衆寮での生活の心構えを書いたもの。
- 『對大己五夏闍梨法』
寛元2年(1244年)3月21日、越前・吉峰寺にて5年以上修行している長老に対する後輩の礼儀作法を書いたもの。62条からなる。
- 『日本国越前永平寺知事清規』
永平寺に改称した日である寛元4年(1246年)6月15日、僧堂運営の各部署の責任者である知事、及びその部下の小頭首の心構えを書いたもの。