典座
禅宗寺院で修行僧の食事、仏や祖師への供膳を司る役職
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
故事
道元
「宋の天童寺に留学中だった私(道元)はある夏の日、中庭で寺の老典座が海草[2]を干しているのを見た。老人は眉は白く腰は曲がっていたが、炎天下に竹の杖をつき、汗だくになり、苦しそうに働いていた。私は気の毒に思って近づき、年齢を聞くと老人は『68歳だ』と答えた。
『なぜ、下働きの者にやらせないのですか』 老人は答えた。『他の者とやらは、私自身ではない』
『ごもっともですが、なぜ今のような炎天の日中にされるのです』 老人は答えた。『今のほか、いつを待てと言うのか』
私はその場を離れた。そして廊下を歩きながら、典座職の重要さを考えたのであった」[3]
「また私が上陸許可を待って港の船の中にいた時、一人の老僧が食材の買入れに、港にやってきた。船室に招いて茶を勧め、話を聞くと『私は、阿育王寺の典座である。故郷の蜀を出て四十年、歳も六十を越えたが、これからまた三十五里(20キロ)ほど歩いて、食事の用意に寺まで帰らねばならぬ』
『飯の用意など、ご同役の誰かがやるでしょう。何か差し上げますので、ゆっくりしていかれては』
『それは駄目だ。外泊許可を貰っていないし、典座は老人にもできる修行、他人には譲れぬ』
私は聞いた。『あなたほどのお年なのに、なぜ忙しく働いてばかりいて、坐禅したり先人の教えを学ばないのですか。それでいったい何のいいことがありましょう』
老僧は笑って言った。『外国から来たあなたは、どうやら何もわかっていないようだ』私はこれを聞き、大いに驚き、また恥じた。そして老人は「もう日も暮れた。行かねばならぬ」と立ち上がり、寺へと帰っていった。私が多少とも修行のことを知るようになったのは、実にこの老典座の恩によるのである」[4]
道元は日本に帰国してより建仁寺に留まったが、建仁寺の典座が食事の用意を軽く考え、職務を適当に行っていることを見、宋との落差を非常に遺憾とした。そして『典座教訓』を執筆し、典座職の重要性と、その職務要領を詳細に書き残したのである。