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永明延寿

五代十国時代の法眼宗の僧、宗照大師 (904-976) From Wikipedia, the free encyclopedia

永明延寿(えいめい えんじゅ)は、中国の五代十国時代の法眼宗の僧。諡は宗照大師。俗姓は王。字は冲玄。号は抱一子。杭州余杭県の出身。

諡号 宗照大師
尊称 智覚禅師
没地 杭州永明寺
概要 永明延寿, 諡号 ...
永明延寿
天祐元年 - 開宝8年12月26日[1]
(904年 - 976年1月29日)
諡号 宗照大師
尊称 智覚禅師
生地 杭州余杭県
没地 杭州永明寺
宗派 禅宗、白蓮宗
寺院 永明寺
師 天台徳韶
著作 『宗鏡録』
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『宗鏡録』を著し、後世に浄土教の蓮宗の第六祖に位置づけられ「禅浄一致」「教禅一致」を説いたことにされている。

略歴

出家前

7歳で法華経を読み、16歳で斉天賦を銭元瓘(後の呉越の文穆王)に献じて官吏となった。

出家以降

28歳の時、華亭県(現在の上海市松江区)の駐留将校をしていたが、妻子と財産を捨て、雪峰義存門下の翠巌令参の下で出家した。

その後、天台徳韶の法嗣となり、雪竇山資聖寺や霊隠寺に住した。建隆2年(961年)には永明寺に移り、以後15年間、この寺で得度した門弟は、1,700名に及んだという。篤信家として知られる呉越国主の銭氏の尊崇を受けた。『法華経』を誦すること13,000部に及び、造像や造塔を在家者に熱心に奨めた。

その名声は広く知れ渡り、高麗の光宗が延寿の徳を慕い、36人の僧を派遣して弟子入りさせた。また、天台山において10,000人以上の得度・授戒・放生を行なう。

開宝8年12月26日(976年1月29日)、72歳で没し、宗照大師と諡された。法臘42[2]。

没後

浄住寺に転住した雲門宗の円照宗本により、同寺に保存されていた『宗鏡録』が再評価され、北宋の魏王趙イン[君+頁]、宗本の弟子の大通善本による2度の印刷により全国に普及、大観元年(1107年)の東禅寺版大蔵経に入蔵が許可されるに及んで、中国仏教の思想をまとめ直した内容として評判を博した。

主著

  • 『宗鏡録』
  • 『唯心訣』
  • 『註心賦』
  • 『万善同帰集』
  • 『観心玄枢』
  • 『受菩薩戒法』
  • 『慧日永明寺智覚禅師自行録』

伝記

  • 『十国春秋』巻89「呉越十三 列伝」
  • 『宋高僧伝』巻28「大宋銭塘永明寺延寿伝」
  • 『景徳伝灯録』巻26「杭州永明寺延寿禅師」
  • 『永明智覚禅師方丈実録』(霊芝元照撰)

参考文献

  • 『永明延寿と『宗鏡録』の研究 -一心による中国仏教の再編-』(柳幹康、法藏館、2015年)

脚注

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