永明延寿
五代十国時代の法眼宗の僧、宗照大師 (904-976)
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略歴
出家前
出家以降
28歳の時、華亭県(現在の上海市松江区)の駐留将校をしていたが、妻子と財産を捨て、雪峰義存門下の翠巌令参の下で出家した。
その後、天台徳韶の法嗣となり、雪竇山資聖寺や霊隠寺に住した。建隆2年(961年)には永明寺に移り、以後15年間、この寺で得度した門弟は、1,700名に及んだという。篤信家として知られる呉越国主の銭氏の尊崇を受けた。『法華経』を誦すること13,000部に及び、造像や造塔を在家者に熱心に奨めた。
その名声は広く知れ渡り、高麗の光宗が延寿の徳を慕い、36人の僧を派遣して弟子入りさせた。また、天台山において10,000人以上の得度・授戒・放生を行なう。
没後
浄住寺に転住した雲門宗の円照宗本により、同寺に保存されていた『宗鏡録』が再評価され、北宋の魏王趙イン[君+頁]、宗本の弟子の大通善本による2度の印刷により全国に普及、大観元年(1107年)の東禅寺版大蔵経に入蔵が許可されるに及んで、中国仏教の思想をまとめ直した内容として評判を博した。
主著
- 『宗鏡録』
- 『唯心訣』
- 『註心賦』
- 『万善同帰集』
- 『観心玄枢』
- 『受菩薩戒法』
- 『慧日永明寺智覚禅師自行録』
伝記
参考文献
- 『永明延寿と『宗鏡録』の研究 -一心による中国仏教の再編-』(柳幹康、法藏館、2015年)