江口襄
日本の陸軍軍医
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来歴
1881年(明治14年)、東京医学校卒[4]。同期に森鷗外、小池正直らがいた[4]。軍医となり、日本で最初に肺外科手術に成功した[5]。小倉師団では森鷗外の前任軍医部長を務めた[5]。鷗外の『雁』のモデルの一人と言われている[6]。
1885年(明治18年)東京府が「郡区医職務章程」を制定した際、郡医志願者の試験委員を務め、死体検案試験を担当した[7]。
1892年(明治25年)相馬事件の解剖主任を務める[8]。相馬誠胤(陸奥中村藩6万石第13代藩主)の死因に疑義がもたれたため青山霊園に葬られた遺骸を掘り起こし、胃部、心臓部などの局部を解剖した。
1897年(明治30年)大阪城南病院院長就任[9]。
1904年(明治37年)日本赤十字社三重支部山田病院(山田赤十字病院、三重県度会郡四郷村)初代院長。
1912年(明治45年)退職し、故郷の烏山町に住む[10]。
