池坊専好
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池坊 専好(いけのぼう せんこう)は、華道の流派池坊の家元およびその継承予定者が名乗る名跡。安土桃山時代から現代にかけて4人がこの名を名乗った。
- 池坊専好(初代)(天文5年(1536年)? - 元和7年6月24日(1621年8月11日)
- 華道家元三十一世。池坊専応・専栄によって基本が形成された立花を、より立花感のある構成に発展させた。文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の訪問を迎えた前田利家邸において、幅四間(約7m)の床の間に巨大な砂之物(立花の一形態)を立てたといわれる。慶長4年(1599年)に京都の大雲院で催された百瓶華会(ひゃくへいかかい)には弟子100人が作品を飾り、多くの観衆を集めた。生年は1541年(天文10年)ともされる。
- 池坊専好(二代)(天正3年(1575年)? - 万治元年11月7日(1658年12月1日)
- 華道家元三十二世。元の名前は専朝。後水尾天皇に召し出されて宮中立花会に参加し、他の参加者の指導もおこなった。立花の大成者で[1]、優雅で気品のある作風を特徴とする。作品図は華道家元池坊総務所・曼殊院・陽明文庫などに残されている。生年は1570年(元亀元年)、没年は1659年(万治2年)ともされている。