池田古墳
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| 池田古墳 | |
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墳丘全景(南東方より) 中央を縦断する国道9号(和田山バイパス)に直交して左側に後円部(竹藪)、右側に前方部。 | |
| 所在地 | 兵庫県朝来市和田山町平野字花段 |
| 位置 | 北緯35度20分26.53秒 東経134度50分35.26秒 / 北緯35.3407028度 東経134.8431278度座標: 北緯35度20分26.53秒 東経134度50分35.26秒 / 北緯35.3407028度 東経134.8431278度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 | 墳丘長136m |
| 埋葬施設 | 不明(内部に長持形石棺か) |
| 出土品 | 円筒埴輪・形象埴輪 |
| 築造時期 | 5世紀初頭 |
| 史跡 | 兵庫県指定史跡「池田古墳」 |
| 有形文化財 | 出土品(国の重要文化財) |
| 特記事項 | 兵庫県第4位/但馬地方第1位の規模 |
| 地図 |
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池田古墳(いけだこふん)は、兵庫県朝来市和田山町平野にある古墳。形状は前方後円墳。兵庫県指定史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。

兵庫県北部、和田山盆地北部の大倉部山東麓に築造された大型前方後円墳である[2]。1907年(明治40年)頃の山陰本線敷設の際に墳丘が削平されているほか[3]、古墳域は宅地化し、墳丘中央には国道9号(和田山バイパス)が横断したため、旧状は大きく損なわれている。昭和30年代後半に初めて学術的に認識され[4]、1971年(昭和46年)から現在まで十数度の調査が行われている[3]。
墳形は前方後円形で、前方部を北東に向ける。墳丘は3段築成。墳丘長は約136メートルを測り[3]、但馬地方では最大規模、兵庫県内では第4位の規模になる[注 1]。墳丘外表は葺石で覆われ、円筒埴輪列・形象埴輪(水鳥形・家形・盾形・壺形・蓋形埴輪等)が認められるほか、左右のくびれ部には造出を有する[3]。埴輪のうちでは特に水鳥形埴輪が23個体を数え、古墳1基からの出土では全国で最多になる[5]。墳丘周囲には盾形の周濠も巡らされており、埴輪・葺石・周濠を備えた古墳は但馬地方では池田古墳と船宮古墳(朝来市桑市)のみになる[5]。埋葬施設は不明。池田古墳の北西4キロメートルの高田地区など数ヶ所に長持形石棺の部材片が残るが、王墓に特有のこの長持形石棺が池田古墳に使用された可能性が指摘される[4][3](高田地区の石棺片は平野公民館に移転・展示)。
この池田古墳は、墳形・出土埴輪より古墳時代中期の5世紀初頭頃の築造と推定される[3]。朝来市域では古墳時代前期の南但馬地方の王墓として若水古墳・城ノ山古墳の築造が知られるが、それらに後続する池田古墳は南北但馬地方を統合する最初の王墓に位置づけられ、その地位は茶すり山古墳(朝来市和田山町筒江)・船宮古墳へと継承される[1]。
古墳域は朝来市指定史跡に指定されたのち、2013年(平成25年)に兵庫県指定史跡に指定された。また出土品は2019年(令和元年)に国の重要文化財に指定されている[6][7]。
