沢田ろうそくまつり
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沢田ろうそくまつりは、旧暦1月15日の行事で、沢田神明宮の大祭の前夜祭として行われている[1]。伝承によると、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落武者の御霊をろうそくで弔うために始めたのが由来であると言われている[2]。家にある最も大きい蝋燭(ろうそく)を岩谷堂の洞穴の中に灯し、家内安全と五穀豊穣を祈願する。祭りの翌日、沢田神明宮の氏子総代が、蝋燭の蝋の流れを稲穂に見立てて、その年の豊凶占いをする[3]。稲穂に見える蝋が多いと豊作、少ないと凶作になる[2]。かつては洞穴内の氷柱を見て豊凶占いをしたともいう。岩屋堂の下の広場では、篝火が焚かれ、その近くで登山囃子が奉納される[4]。弘前市鬼沢の鬼神社の七日堂祭・御神火(ごじんか)行事は、沢田ろうそくまつりをヒントに創られたと言われている[5]。


場所
沢田神明宮
祭りが行われる沢田神明宮は、地区中心地(相馬総合支所)から7キロほど離れてた沢田集落にある。岩石の高さ約100メートルの崖、切り立った崖の中腹部(洞窟の中)に神明宮が祀られている[2]。藩政時代の文人である菅江真澄は、1797年(寛政9年)に沢田神明宮を訪れている[6]。祭神は天照大御神で、明治以前は不動堂であった[2]。
沢田集落
沢田集落は、相馬川の支流である作沢川沿いに入った最奥地に位置する山間の集落である[7]。藩政時代は漆、楮、炭、竹細工などを作り生計を立てていた[4]。冬は箱ナメコの生産をしていたこともあるが、現在は作っていない[6]。近くに鉱山(舟打鉱山)があったため、一時的に人口増加したが、その鉱山が閉業に伴い人口が急減。現在は6世帯となっている。
近年の状況
1970年代に入って役場(旧相馬村)と商工会が中心となり、屋台を出すなどして観光化を図るようになった。2006年に旧相馬村が弘前市に合併した後、地元有志からなる実行委員会「沢田ろうそくまつり実行委員会」が組織され、現在まで実行委員が主体となって祭りを担っている[6]。
コロナ禍を経ての現在
2021年~2024年は、コロナ禍の影響で中止を余儀なくされた。中止が続いたことで、地域住民の祭りへの関心が低くなった[8]。さらに祭りの担い手が高齢化し、担い手不足にも陥った。そんな中、「なんとか祭りを継承したい」という思いをもった人が集まり、2025年に祭りを再開した[8][9]。今後も祭りを継続していくために、沢田ろうそくまつり実行委員会と地域おこし協力隊が連携し、「沢田ろうそくまつり運営マニュアル」を作成し運営ノウハウの言語化・記録化を行ったり[10]、地元小学校で出前授業を行ったりしている[11]。
