河合弘之
日本の弁護士 (1944-)
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経歴
旧満洲国新京市(中国長春市)生まれ[2]。桐朋高等学校を経て、1967年東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1968年東京大学法学部卒業。1970年4月、弁護士登録[2]。さくら共同法律事務所所長。駆け出しの頃は社会派弁護士として過激派や労働組合の弁護をしたが、一転して企業弁護士となる。
ダグラス・グラマン事件を皮切りに[2]、平和相互銀行事件、リッカーミシン事件、政界金屏風事件、ライフ・忠実屋・いなげや仕手戦、つぼ八乗っ取り事件、国際航業仕手戦[2]、イトマン事件などを手がける。河合は当時を「着手金や成功報酬を支払うなら弁護してやる。それが河合流だと思っていました。僕は弁護士になったのは大活躍するため」と述懐している[2]。ダイエー[2]、秀和、イトマン[2]、小谷光浩、国際航業、横井英樹、なかにし礼、中内㓛、太平洋クラブ、慶屋、ホテルニュージャパン、麦島善光の顧問等を歴任した。
担当した主な事件
- ダグラス・グラマン事件
- 平和相互銀行事件
- 忠実屋・いなげや事件
- イトマン事件
- 光進事件
- 東京協和信用組合、安全信用組合事件
- 太平洋クラブ破綻事件
- ロッテ・グリコ比較広告事件
- 福岡ドーム事件
- 蛇の目ミシン工業事件
- スルガ銀行不正融資事件[3]
- 熱海市伊豆山土石流災害
社会活動
著書
関連書籍
- 大下英治『逆襲弁護士 河合弘之』さくら舎 2013年