麦島善光

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生誕 1936年[1]
大日本帝国の旗 大日本帝国
長野県西筑摩郡吾妻村(現・木曽郡南木曽町[1][2]
活動期間 1958年 -[1]
著名な実績 株式会社麦島建設代表取締役社長[1]
株式会社ユニホー代表取締役会長[1]
株式会社ZENホールディングス社長[1]
学校法人理知の杜理事長
むぎしま よしみつ
麦島 善光[1]
生誕 1936年[1]
大日本帝国の旗 大日本帝国
長野県西筑摩郡吾妻村(現・木曽郡南木曽町[1][2]
職業 実業家[1]
活動期間 1958年 -[1]
著名な実績 株式会社麦島建設代表取締役社長[1]
株式会社ユニホー代表取締役会長[1]
株式会社ZENホールディングス社長[1]
学校法人理知の杜理事長
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麦島 善光(むぎしま よしみつ、1936年昭和11年〉7月14日[2][3] - )は、日本実業家学校法人理事長。

生い立ち

長野県西筑摩郡吾妻村(現・木曽郡南木曽町)出身[2]農業を営む父・林三郎、母・ちやうの次男[2]。長男は生後間もなく死亡、兄弟は、弟の善太郎と姉7人の9人[2]。父・林三郎は農業で生計をたてて、自分の家でを飼い、農閑期には馬方となり、伊那谷へ荷物を運んだ[2]

善光が3歳のとき、父・林三郎が病死する[2]。以来、母に育てられる[2]。母は子供たちに農作業や家の雑事をやらせた[2]。家では馬を2頭飼っていて、えさをやるのは善光の役目だった[2]。少年時代の善光はわんぱくで、勉強もよくできた[2]算数が得意だった[2]

新制中学校3年の2学期になると善光は「高校へ行かせてくれ」と母に頼んだが、反対したので近所の大工の棟梁に弟子入りした[2]。中学を出て4年目の春に大学受験資格の検定試験に合格する[2]。大工見習いを辞め、1954年4月に武蔵工大建築科に入学する[2]。授業の中身、学園の雰囲気に失望し、4年生のときに名古屋の姉婿の家に戻る[2]

義兄が瑞穂区で時計屋を営んでいて、ここに居候しながら名古屋工業大学へ入るため受験勉強をする[2]。義兄から製餡屋の邸宅の施工を頼まれ、苦労してタイル建具左官などの業者を探し、木材は木曽の材木屋に嫁いでいた姉に手配してもらう[2]

実業家

邸宅が完成し、「さあこれで勉強だ」と思ったときにまた注文が舞い込み、結局、受験勉強はできなくなる[2]1958年、22歳で麦島建設を設立[1]1961年、個人会社から株式会社に組織を変更する[2]。従業員は40人に増え、建築一般にまで事業を広げる[2]

1972年、ユニホーを設立[1]2004年、ZENホールディングスを設立[1]2015年3月、株式会社ZENホールディングス代表取締役会長兼社長、株式会社ユニホー代表取締役会長、麦島建設代表取締役会長兼社長を退任した[4]

学校法人理事長

学校法人理知の杜

長野県松本市の創造学園高等学校を経営する学校法人創造学園理事長に就任。2018年4月、学校法人創造学園を学校法人理知の杜に名称変更、創造学園高等学校を松本国際高等学校に校名変更し、JR篠ノ井線村井駅前に新校舎を建築し移転[5]。同年10月、愛知県岡崎市に岡崎日本語学校を開校[6]2019年4月、愛知県豊橋市に豊橋日本語学校を開校[7]2021年4月、岡崎市に理知の杜ビジネス専門学校を開校[8]宮城県仙台市青葉区に理知の杜日本語学校仙台校を開校[9]、松本国際高等学校に松本国際中学校を併設開校[10]。同年10月、東京都墨田区両国に理知の杜日本語学校東京校を開校[11]2022年4月、北海道函館市に理知の杜日本語学校函館校を開校[12]

明浄学院事件

2019年12月の学校法人明浄学院理事会1月11日付で麦島を理事長にすると決議された。だが学校法人としては1月13日の理事会で明浄学院高等学校校長である奥田貴美子を理事長に選任して就任したと異なった発表がされた。これに対して麦島は内規に反し無効であるとの訴えを起こす。大阪地方裁判所3月6日、新理事長ら7人の職務を停止する仮処分を決定した[13]8月20日、明浄学院高等学校は学校法人明浄学院から分離する形で、学校法人藍野大学が経営することとなり、大阪観光大学のみが残る学校法人明浄学院(現学校法人大阪観光大学)の理事長には今後、麦島が就任することが決定した[14]

人物

脚注

参考文献

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