河渡 (新潟市)
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隣接している町字
地域
歴史
かつては沼垂町の一部で、沼垂町移転時に独立したという説もある[5]。
1889年(明治22年)以後は松島村の大字となり、1898年(明治31年)に新松島村、1901年(明治34年)に大形村の大字となる[6]。1929年(昭和4年)には宅地分譲が行われ、1935年から1945年(昭和10年代)には新潟人絹工場、昭和石油社宅、石井精密が設置された[6]。
1943年(昭和18年)に新潟市の大字となり、それまでは河渡新田と称したが、新潟市への編入時に河渡に改称した[6]。1950年(昭和25年)から1983年(昭和58年)にかけて、一部が平和町、船江町、浜谷町、河渡、河渡新町、河渡本町、幸栄、物見山、小金町、松和町、松園、有楽、白銀、藤見町に分立[6]。1955年から1965年(昭和30年代)には砂丘地の宅地化が急速に進み、1964年(昭和39年)の新潟地震以後、住宅地に変わった。新潟市が政令市に移行した2007年(平成19年)以後、新潟市東区の大字となっている。
分立した町字
1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
- 河渡新町 (こうどしんまち)
- 1983年(昭和58年)から現在の町名[6]。1945年から1955年(昭和20年代)から人家ができ始め、河渡新町と俗称されていた[6]。新潟地震以後に急速に開発が発展し、宅地化した[6]。
- 小金台 (こがねだい)
- 1999年(平成11年)11月1日に分立した町字[9]。
- 小金町 (こがねちょう)
- 1951年(昭和26年)から、現在まである新潟市の町名[10]。
- 浜谷町 (はまやちょう)
- 1957年(昭和32年)から、現在まである新潟市の町名[12]。町名の由来は、字浜谷内にちなむとされる[12]。1945年から1955年(昭和20年代)に人家が建ち始めた地域で、以前は原野であった[12]。
- 藤見町 (ふじみちょう)
- 1950年(昭和25年)から、現在まである新潟市の町名[13]。町名は、藤が群生していたことにちなみ[13]、王瀬の長者が藤を植えて藤見をした場所であるとされる[14]。1988年(昭和63年)10月3日に住居表示を実施し、藤見町1丁目、藤見町2丁目となる[15]。
- 船江町 (ふなえちょう)
- 1952年(昭和27年)から、現在まである新潟市の町名[16]。1955年から1965年(昭和30年代)に県営住宅、市営住宅が建設されたが、新潟地震以後は砂丘を削って急速に開発が発展し、宅地化した[16]。2000年(平成12年)11月27日に住居表示を実施し、河渡甲の一部を加えて船江町1丁目、船江町2丁目となる[17]。
- 平和町 (へいわちょう)
- 1952年(昭和27年)から、現在まである新潟市の町名[18]。町名は、この地にあった太平鉱業(現:三菱マテリアル)の「平」と、昭和石油の「和」を組み合わせたもの[18][19]。太平鉱業は1936年(昭和11年)に新潟人絹工場として進出した後、新潟地震前に移転[18]。昭和石油は1934年(昭和9年)に新油石油として進出していた[18]。
- 物見山 (ものみやま)
- 1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[22]。もとは1960年(昭和35年)から1980年(昭和55年)まであった物見山町と河渡、浜谷町の一部で、1丁目から4丁目がある[22]。町名は物見山砂丘にちなむ[22]。
年表
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[24]。
| 大字・丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 河渡 | 1~55番地 | 新潟市立桃山小学校 | 新潟市立山の下中学校 |
| 庚1~庚13、庚25 庚78、庚83~庚92 庚117~庚135、庚138~庚184 庚186~庚198、庚200~庚203 庚205~庚287、庚289 庚295、庚296番地1~64 庚317~庚347、庚359番地1・3 庚363~庚400 | 新潟市立東山の下小学校 | 新潟市立藤見中学校 | |
| その他 | 新潟市立下山小学校 | 新潟市立下山中学校 | |
| 河渡一丁目 | 全域 | 新潟市立東山の下小学校 | 新潟市立藤見中学校 |
| 河渡二丁目 | 全域 | ||
| 河渡三丁目 | 全域 |


