1980年(昭和55年)から現在までの町名[5]。栗ノ木川右岸に位置する。もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった紫竹新田の区域の一部で、1889年(明治22年)から1980年(昭和55年)まであった大字紫竹が町名を施行して町丁となった。
地名は、古くはチチコ山(蓬草の一種を指す方言)と称し音の似通っていたことから紫竹山新田と書いたが、領主溝口氏巡見の時に誤って紫竹新田と書いて届け出たのが村名となった[5][6]。
交通の便が良いことから、第二次世界大戦後に人口が急増した[5]。
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
※ 栗ノ木川を挟んで紫竹山、鐙、南笹口と隣接。