河田幸男
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1999年扶桑町長選挙
愛知県丹羽郡扶桑町柏森黒野出身[1]。1959年(昭和34年)、扶桑町役場に入庁[2]。民生課長や総務課長、総務部長などを経て、1991年(平成3年)7月4日、助役に就任し、2期務める[3]。1999年(平成11年)2月26日、愛知県議会議員選挙出馬のため町長を辞職した澤田正夫に代わり、職務代理者となる[4]。
1999年(平成11年)3月19日、村瀬浩議長に退職申出書を提出[3]。理由は「一身上の都合」となっていたが、河田は「(四月の)町長選への出馬を決断した」「地元地区や議会筋からも要請があり、現町政の継承を基本に尽力したい」と話した。町議会の保守系二会派が河田を推すことを決めていた。3月29日、町議会議員の小林明(日本共産党)が無所属での出馬を表明[5]。1991年以来8年ぶりの選挙戦となった。
1999年扶桑町長選挙は第14回統一地方選挙の後半戦として行われ、河田と小林の「保革選挙」となった[6]。統一地方選挙前半戦において県議選に出馬した澤田は落選に終わり、町長選は県議選の後遺症も残したまま始まった。河田、小林とも町南部の柏森地区からの出馬で、地元で第一声を上げた。河田陣営には、扶桑町と友好関係にある福井県美山町の藤田海三町長も応援に駆け付けたほか、県議選で師弟対決を演じ、今度は元上司を全面支援する新県議の藤川政人が激励。河田は約300人の支持者を前に「町民の皆さんとともに歩む町政を」と話した。小林陣営は、支援者の銭湯を借りた事務所で出陣式。支持者約60人が出席、支援する市民グループの代表らがマイクを握り、応援で共産党参議院議員の八田ひろ子が駆け付けた。激励を受けた小林は「福祉や教育を守る住民本位の町政に」と語った。
県議選では扶桑、大口の保守系町議らが分裂して敵対。町長選は扶桑の保守系町議全員が推し河田も出馬を決意したが、まとまりが悪く態勢が整ったのは告示2日前と出遅れた。一方、共産党町議団は前町長の澤田を支持し与党だったが、河田と政策上で考えが食い違い、町議八期目の小林が出馬を決めて一足早く準備を進め、選挙戦に臨んだ。少子高齢時代に対応した福祉向上、下水道や道路、公園など生活基盤整備、快適環境や生涯学習が盛んな町づくりなどを挙げ、地方分権の推進に対応するための行財政改革を政策に据えている。
4月25日の投開票の結果、河田が初当選[1]。「立ち上がりが遅れて苦しい選挙だったので、必死に追いつこうと頑張った。当選の知らせを聞いて言葉にならないほどうれしい。」と語った。立ち遅れを取り戻した河田が約5,000票の差をつけて当選を決めた。投票率は過去最低の59.73%となった。小林は、最後に大きく引き離された形で敗れはしたものの、得票数(4,685票)は共産党の単独推薦の町長選では過去最多となった[7]。
2003年扶桑町長選挙
2002年(平成14年)12月5日、再選を目指して立候補する意思を表明[8]。県議選、町長選ともに激しい選挙戦を展開した4年前とは一転し、第15回統一地方選挙の後半戦で行われた2003年扶桑町長選挙は無投票(愛知県議会議員選挙丹羽郡選挙区も無投票)に終わり、総務部長、助役を務めた元行政マンの河田の安定した行政運営、バランス感覚が幅広く支持された形となった[9]。
合併計画の不調と辞任
河田は犬山市への編入の形での扶桑町の合併を計画しており、「最後の町長」となるとも目されていたが、この合併計画は町議や町民らの反対に遭い失敗に終わり(後述)、河田はこの責任を取り2004年(平成14年)8月2日付で町長職を辞任した[10]。7月30日、河田を「送る会」が扶桑町役場大会議室であり、河田は全職員を前に「合併は白紙になったが、わが町にとって必要な施策であり、近い将来、再燃するのでは。自主・自立のまちづくりでは限界がある」と主張し、「辞職は町の信用失墜を招いたことへのけじめ。一生懸命に務めてきたので何も悔いはない」と、吹っ切れた表情で淡々と述べた。河田の辞職に伴う町長選挙は同月24日告示、29日投開票で行われたが、それまでの間、亀井政寛助役が職務代理者を務めた。町長選挙は自民党の推薦や地元選出の県議(藤川政人)、保守系町議の多くの後押しを受けた江戸満が当選した。
町政
教育長人事
2000年(平成12年)9月19日、月末に任期を終える教育委員5人のうち1人の後任に愛知県尾張教育事務所管理主事の河村共久(岐阜県可児市)を選び、同意案を町議会に追加上程した[12]。河村は愛知教育大学出身で教職に就き、2000年3月末までの5年間は校長として扶桑町立扶桑北中学校に勤務。4月から尾張教育事務所に籍を置いている。同町の教育長に町外在住者で、しかも現役の教育関係者の選任は初めてで、市町村の主体性などが求められている教育改革の流れをにらんで人選したという。町によると、教育長には代々、町内に住む教員OBが就任。今回は教育委員で現教育長の橋本正賢が今期限りでの辞意を示したのに伴い、公認の人選を進めてきた。
今回の異例人事について、河田は「地方分権で地方教育の改革も求められている時代への対応を視野に入れた」と話し、「教育はとくに人が一番大切。河村さんの扶桑北中時代の教育に取り組む姿勢に感動した。周囲の評価も高く、新風を注ぎ込んでもらいたい」とした。任期は10月1日から4年。扶桑町は、県に市町村教育に対する支援を求めるとともに慣例を破る教育委員選出などの改革を進める犬山市と同じ丹葉地方教育事務協議会のメンバー。同協議会は犬山、江南、岩倉、扶桑、大口、木曽川の3市3町で構成している。
交通安全政策
町内の有線放送で交通安全を呼びかけるほか、事故が発生した現場の対策を図り、交通安全条例を制定するなど数々の活動を行った。町内の交通事故防止活動に努めたとして、2002年(平成14年)4月15日、長瀬郁雄(扶桑町議会議長)とともに犬山警察署の横田義人署長から感謝状を手渡された[13]。