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油小路隆董

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油小路 隆董(あぶらのこうじ たかなお、1839年2月25日天保10年1月12日) - 1908年(明治41年)3月13日)は、江戸時代公家明治時代華族伯爵)。位階正二位

経歴

公家の油小路隆晃と、郁子(姉小路頼彦の女)の長男として生まれる。弟に河辺隆次男爵(後に爵位返上)がいる。

1848年嘉永元年8月)、従五位下に叙せられる。1852年(嘉永4年4月)、元服昇殿を許された。1868年3月、明治天皇大阪御親征行幸内侍所供奉の侍従となる。1870年に宮中勤番に任命された。1876年から1882年1月まで桂宮淑子内親王の祇候を務めた。1877年11月、殿掌となる。1878年5月、賀茂祭(葵祭)再興勅使を仰せ付けられて以来、春日大社および男山八幡宮の御勅上卿などを務めた。1889年、父の没後に襲爵し、伯爵となり、9月に殿掌取締となる。1897年従二位に叙せられた。1908年(明治41年)3月13日死去。70歳。墓所は真如堂[1]

家族

上京区寺町通丸太町上ル松蔭町四

  • 妻:正子(舟橋在賢の女)
  • 長男:油小路隆元
  • 次男:八条隆正子爵
  • 三男:伊佐隆長 - 医師となる。
  • 四男:弓削永三郎(滋賀県の弓削正一の女みさをと結婚)
  • 長女:顕子
  • 次女:裳子(実業家の植村寅の妻)[2]
    • 弟:油小路隆方 - 殺人事件を起こす

脚注

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