沼田月斎
江戸時代の浮世絵師
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生涯
牧墨僊及び葛飾北斎の門人。150石取りの尾張藩の侍で代官町に住んだ。文化元年(1804年)に大番組となっている。初め牧墨僊に絵を学び、のちに墨僊からその前名である月斎歌政の名を譲られ、二代目月斎歌政と称した。これは墨僊の妻が沼田氏で、月斎と何らかの繋がりがあったためとも思われる[1]。文化9年(1812年)、名古屋滞在中の葛飾北斎からも墨僊とともに絵を学んでいる。
文政のころ月斎を名乗り、文政元年(1818年)刊行の『北斎画鏡』や、翌年刊行の『北斎漫画』九編などの奥付に、校合門人の一人として月斎歌政の名前が見られる。版本の作としては天保14年(1843年)刊行の『絵本今川状』などがある。肉筆浮世絵では美人画を得意としたが、「歌政」と署名した作品は後に師のものと間違われる場合もあった[1]。
天保以降は浮世絵から離れて張月樵・山本梅逸に師事して南画で一家を成し嘉永6年(1853年)には画壇から退く。享年78。門人に埴原月岬、大石真虎、川崎千虎、川崎美政、岩田古朴、服部月真、今井雪政らがいる。