洞院公連

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生誕 不詳
死没 不詳
 
洞院 公連
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 正三位左近衛[権]中将
主君 後土御門天皇後柏原天皇
氏族 西園寺家洞院家
父母 父:西園寺実遠
母:不詳
兄弟 西園寺公藤公連
特記
事項
洞院家の再興時の当主。
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洞院 公連(とういん きんつら)は、室町時代から戦国時代にかけての公家左大臣西園寺実遠の次男。権大納言洞院公数後に断絶した洞院家を継承。官位正三位左近衛中将

文明8年(1476年)前権大納言洞院公数出家し、洞院実雄以来の清華家であった洞院家は断絶した。

数年後、洞院家の本家・西園寺家の当主であった西園寺実遠の次男である公連が断絶した洞院家を継承し、文明14年(1482年叙爵侍従を経て、文明18年(1486年従四位下左近衛中将に叙任され、延徳2年(1490年従三位に叙されて公卿となった。公卿昇進後も中将を帯び、明応4年(1495年)には正三位に昇叙するも、その後の昇進は停滞。文亀元年(1501年)4月に出家し、洞院家は再び断絶した。

甘露寺親長編修の『洞院系図』は「左府西園寺申請相續之儀、續一流云々、有名無實歟」と評し、実遠の申請による公連の継承を、正三位・左近衛中将止まりの事績では「洞院家相続は形骸化していた」と分析している。

その後、前右大臣西園寺公藤が洞院家の再度の再興を試み、洞院家を実賢に継がせる。実賢は永正5年(1508年)叙爵し、永正6年(1509年)従五位上に叙せられているが、その後叙位任官の記録はなく、洞院家はみたび断絶した。

官歴

歴名土代』『公卿補任』による。

系譜

脚注

参考文献

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