浅井純哉
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石川県輪島市出身[2]。金沢高等学校野球部OB内野手(甲子園出場経験はなし)。国士舘大学準硬式野球部では投手。
輪島市の高校で臨時職員として勤務した後、1981年(昭和56年)に母校・金沢高等学校へ戻り、野球部コーチ[2]。責任教師を経て、1993年(平成5年)秋より野球部監督就任[2]。2011年(平成23年)6月、育成功労賞を受賞[2][3]。同年10月の山口国体を最後に勇退を発表した[4]。後任は野球部長の岩井大。
金沢高校時代は白山市(旧:美川町)の自宅を下宿として、輪島市など県内の遠隔地および希望する野球部員の面倒をみていた。野球部OBである大松尚逸も金沢市内に自宅がありながら、下宿生として生活していた。
2012年(平成24年)8月より鵬学園高等学校野球部監督就任。2022年(令和4年)の夏の公式戦をもって勇退を発表した。体調面の都合ではなく、就任10年目が一つの区切りであるとの判断によるものだった[5]。
鵬学園の監督退任後は再び金沢高校に戻り、保健体育の授業を受け持つなどしていた。その傍らで野球部で選手にアドバイスすることもあった[6]。
2023年2月、いしかわ中日体育賞の指導・功労者賞を受賞。贈呈式では金沢高等学校時代の教え子である釜田佳直からのサプライズビデオメッセージが流された[7]。
2025年の年明けより、金沢龍谷高等学校のアドバイザーを務めている山本雅弘からオファーがあり、同年7月下旬に同高野球部の監督就任を決断し[6]、8月1日付で就任した[8]。3年ぶりの監督復帰となる[1]。同部は浅井の監督就任時点で2年生8人、1年生1人と最低限の人数しか在籍しておらず[6][9]、「きっと大変な夏を迎えるだろうと、なら自分が少し力になってやれればいいなっていうふうに思って来ましたね」と就任の理由を語っている[6]。