浜松町
東京都港区の町名
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地理
歴史
浜松町一丁目は、天正18年(1590年)に徳川家康が江戸城に入城して以来、江戸城の城下町として整備された。慶長3年(1598年)、徳川将軍家菩提寺である増上寺が麹町より現在地に移った。慶長6年(1603年)には、東海道が現在の国道15号線上に定められ様々な店が並び商業地域の中心となり、軒を連ねる店の後ろには、松平家や森家、酒井家など、徳川将軍の家臣である大名屋敷が建ち並び、いわゆる江戸の町が形成された。浜松町一丁目の北側は「芝新銭座」(しばしんせんざ)と呼ばれ、寛永13年(1636年)にこの地に江戸における最初の銭貨鋳造所が設けられ、寛永通宝が鋳造されていたと伝えられている。芝の鋳造所は元文年間(1736年~1741年)頃に姿を消したとされているが、後世まで「新銭座」として地名が受け継がれ、旧町名は「芝新銭座町」という。
その後、「福澤屋諭吉」が誕生した明治2年(1869年)。当時、福澤諭吉と慶應義塾はこの「芝新銭座」に居を構えていた。それまで特定の名称がなかった「福澤塾」は「慶應義塾」と命名され、この新銭座の地が「慶應義塾」の発祥地。時に慶応4年(明治元年)。その敷地400坪余に100人程の塾生を収容できる塾舎が建てられ、本格的な英学塾が発足した。
地名の由来
慶長年間、芝増上寺の代官である奥住久右衛門が名主を務め、この地が久右衛門町と呼ばれるようになる。元禄9年(1696年)、遠州浜松出身の権兵衛が名主となり、町名が久右衛門町から芝浜松町に変更され、芝浜松町一丁目から四丁目が成立した。
沿革
- 明治元年(1868年)、東京府の成立に伴い、芝浜松町一~四丁目は東京府の所属となる。
- 明治5年(1872年)、周辺の武家地を併合し、町域を拡大する。
- 明治11年(1878年)、芝区の成立に伴い、当地域は東京府芝区芝浜松町一~四丁目となる。
- 明治22年(1889年)、東京市の成立に伴い、当地域は東京市芝区芝浜松町一~四丁目となる。
- 明治44年(1911年)5月1日、町名より「芝」の冠称が省かれ、芝区浜松町一~四丁目となる。
- 昭和7年(1932年)12月1日、関東大震災後の復興のための大規模な町名整理が行われ、周辺の神明町・新網町・湊町などを編入し、新たに浜松町一~四丁目が成立する。
- 昭和11年(1936年)、浜松町一丁目・二丁目の一部が海岸通一丁目となる。
- 昭和22年(1947年)、芝区が麻布区・赤坂区と合併して新たに港区が成立する。それに伴い町名に再び「芝」の冠称がつき、東京都港区芝浜松町一~四丁目となる。
- 昭和47年(1972年)1月1日、芝浜松町に住居表示が実施され、現在の浜松町一・二丁目が成立する。また、旧芝浜松町の一部は芝大門となる。
町名の変遷
- 港区内の住居表示実施区域で「町」が付く町名はここ「浜松町」のみである。港区内で「町」が付く残りの麻布永坂町・麻布狸穴町は住居表示未実施。

