浦西和彦

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死没 (2017-11-16) 2017年11月16日(76歳没)
日本の旗 日本
膵臓癌
国籍 日本の旗 日本
出身校 関西大学
浦西 和彦
人物情報
生誕 (1941-09-08) 1941年9月8日
日本の旗 日本大阪府大阪市
死没 (2017-11-16) 2017年11月16日(76歳没)
日本の旗 日本
膵臓癌
国籍 日本の旗 日本
出身校 関西大学
学問
時代 昭和平成
研究分野 近代文学
書誌学
研究機関 関西大学
学位 文学博士
主要な作品 #著述
影響を受けた人物 谷沢永一
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浦西 和彦(うらにし かずひこ、1941年9月8日 - 2017年11月16日)は、日本の国文学者。専門は近代文学書誌学学位文学博士関西大学論文博士・1986年)(学位論文「日本プロレタリア文学の研究」)。関西大学名誉教授

大阪府大阪市に生まれる[1]1945年大阪大空襲で自宅が焼失したので石川県にある母方の祖父母の家に疎開し、そこで終戦を迎える[1]1964年関西大学文学部国文科を卒業[1]

岐阜県立坂下女子高等学校教諭、岐阜県立大垣南高等学校教諭を経て、谷沢永一のひきにより関西大学助教授、教授。1986年関西大学にて文学博士の学位を取得[2]

2012年に定年退任、名誉教授。最終講義の題目は「葉山嘉樹の文学的転向」であった[3]。2014年に大阪市市民表彰。

2017年11月16日、膵臓癌のため死去[4]

業績

プロレタリア文学および大阪出身の文学者の書誌を多く作成した[5]。また論考の多くが、先行研究における書誌的事項の誤りを正すのに費やされている[6]。浦西は書誌学が為し得る工夫を重ね、役に立つ便利な仕掛けを考え、文学研究をより実りあるものに仕立てたのである[7]。『現代文学研究の枝折』には、各種の論考に付け加えて、「私にとって書誌作成は、文学研究の環であり、研究の上で実際に役立つためである」と記している[8]

浦西は自らの意見や気持ちで直言するのではなく、徹底して資料から知り得る第三者の言質を綾なすことによって、そこから醸し出される「意味」の世界を読者自身に感じ取らせるという認識方法を提示した[9]。例えば葉山嘉樹の生涯について、戸籍謄本新聞記事などの同時代資料のみならず、信頼できると判断された書き手の述懐・記述など、とにかく第三者の言質を「引用の集大成」として描き出した[9]。葉山の死亡の記述さえ、自らの言葉で言うことを避けて、誤記を指摘しながらも新聞社の死亡告知によって語らしめるほどであった[9]

中野重治は浦西の研究姿勢に言及して、「あくまで面倒な、正確を期して自分の時間と足とでした事実調査の結果を具体的にさしだすこと」について、「事実しらべというのはこうもありたい」と高く評価した[10]。浦西の研究は多くの作家にも感謝されることも少なくなく、例えば開高健から自身の愛用のメモ用紙を貰い、さらにはの丸焼き付きのフルコースをご馳走になったこともあった[11]

人物

研究や教育に対しては厳しい姿勢であったが、普段はいつも微笑みながら若手に接し、学生たちと毎年各地の温泉旅行に行くことを楽しみにしていた[11]

紅茶果物が大好きであった[11]

高等学校教員であった頃は、毎年夏休みにまとまった時間を取って国立国会図書館に籠った[12]。関西大学に移っても、出張で学会に行くことにして出張費をもらい[注 1]、国立国会図書館や日本近代文学館に入り浸って書誌調査に精を出して励んだ[12]

著述

脚注

参考文献

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