浦野りせ子

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浦野 りせ子
生誕 (1924-02-20) 1924年2月20日
出身地 日本の旗 日本 長野県上高井郡須坂町(現・須坂市
死没 2025年4月10日
学歴 東京藝術大学
サンタ・チェチーリア音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 声楽家メゾソプラノ
オペラ歌手
音楽教育者
著名使用楽器
声楽

浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月19日[1] - 2025年〈令和7年〉[2])は、日本の声楽家メゾソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。元武蔵野音楽大学教授[3]

長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)出身。長野県須坂高等女学校(現: 長野県須坂東高等学校)卒業。しばらく音楽講師として教壇に立ったが、27歳の時、恩師の勧めで東京藝術大学声楽科に入学した[3]。1956年(昭和31年)卒業。岡部多喜子に師事[4]平井康三郎信時潔松本民之助にも指導を受けた[3]。1961年(昭和36年) - 1965年(昭和40年)ローマサンタ・チェチーリア音楽院に留学。ジョルジョ・ファヴァレット、イルデブランド・ピツェッティジャン・フランチェスコ・マリピエロ[3]、ダンジェロ、A・レオーネ、V・マリーニ[4]に師事。イタリアで数十本のオペラに出演したのち帰国。

日本では1974年(昭和49年)2月 藤原歌劇団公演 ジャン・カルロ・メノッティ『領事(英語版)』母親[5]を務めたのを皮切りに、1999年(平成11年)2月 新国立劇場 水野修孝『天守物語』舌長姥[6]に至るまで、昭和音楽大学オペラ情報センターの記録による[7]だけで42本のプロダクションに出演している。『天守物語』に出演した際は75歳直前である。50歳で帰国したことと、声種がメゾソプラノのため、日本での役柄は母親や老婆などが多いが、イタリアで培った声と演技力により、貴重なバイプレイヤーとして活躍した。

2004年(平成16年)10月2日及び3日、須坂市制施行50周年事業のすざかオペラ ブリテン『オペラを作りましょう 小さな煙突掃除屋さん』の芸術監督を務める[8]

2007年(平成19年)活動の拠点を故郷の須坂市に移す。故郷の文化発展を願い、過去2度のすざかオペラ公演を成功に導いた[3]

2008年(平成20年)12月5日、須坂市文化会館メセナホールでリサイタルを開催。信時潔『沙羅』などを歌う。ピアノ花岡千春[9]

2009年(平成21年)12月4日、85歳で現役最後となるリサイタルを、須坂市文化会館メセナホール大ホールで開催。ピアノ花岡千春[3]

藤原歌劇団団員[10]、元日本オペラ振興会評議員[3][11]

受賞歴

門下生

ディスコグラフィー

出典

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