海中道路
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勝連半島の屋慶名地区と平安座島の間の海域は浅く、浅瀬が広がっており、古来より干潮時には徒歩で行き来されてきた[1]。平安座島には平家落人伝説が残り、また隣接する宮城島は琉球王朝の流刑地であった古い歴史を持ち、両島は太平洋に浮かぶ孤島であったが、開拓されて地続きとなっていた[1]。また1956年からアメリカ軍の払い下げを改造した水陸両用トラックが半島と島の間を往来していた[3]。そして1960年になると、島民は海中道路建設期成会を結成し翌1961年から建設が始められたが、台風の被害に遭い、この工事は頓挫してしまった[4]。
1970年、アメリカの石油会社であるガルフ石油(後にシェブロンに吸収合併される)が平安座島に進出することになり、この時に建設されたのがガルフ石油精製株式会社 (沖縄石油精製株式会社→沖縄石油株式会社→現:沖縄出光株式会社)とCTS(Central Terminal Station) (現:沖縄ターミナル)である。ガルフ社は石油タンクが並ぶ臨海工業地帯と化した平安座島の島民に対する見返り事業と、沖縄本島までのパイプライン敷設のために、ガルフ社の負担で海中道路を建設することになった[5]。
1971年5月に着工し、翌1972年4月22日に2車線の道路として開通した。完成当時は電柱が林立[6]。海水循環のために架けられた橋も33メートルの短い物だった[7]。完成した海中道路は1974年(昭和49年)、与那城村(当時)に無償譲渡されて村道となり、1991年(平成3年)には沖縄県道に昇格した。同年から道路の改良を開始[8]。そして1999年(平成11年)3月25日に4車線化が完了し、道路の中ほどにロードパークが完成した[3]。2つの橋も架け替えられ、特に沖縄本島寄りの平安座海中大橋は航路確保のため280メートルに延長された。さらに2003年(平成15年)4月27日には、ロードパークに海の駅「あやはし館」がオープンした[3]。
地理
イベント
毎年4月の第1日曜日に「あやはし海中ロードレース大会」が催される。この大会では、21.0975 kmのハーフマラソンのほか、最短は3.5 kmのコースマラソンまで各種ある大会である[3]。
