元弘2年(1332年)、乾峯士曇によって開口神社の南に創建された。文明16年(1484年)頃に季弘大叔が著した「蓆軒日録」にも記録がある。
1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で伽藍が焼失したが、南宗寺住職・沢庵宗彭の助力によって南宗寺の塔頭として現在地である南宗寺境内の一角に移転、再建された。なお、移転前の地には祥雲寺が建築された。方広寺梵鐘の鐘銘を書いたことで知られる文英清韓も当寺の住職であった。後に南宗寺の塔頭から独立し、臨済宗東福寺派の寺院となったが、これまで通り南宗寺の境内に寺基を構えている。
山門を潜ると門廊があり、本堂と庫裏がある。