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清原初男

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国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県
生年月日 (1917-11-17) 1917年11月17日
没年月日 2007年
清原 初男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県
生年月日 (1917-11-17) 1917年11月17日
没年月日 2007年
身長
体重
168 cm
64 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手 内野手
プロ入り 1946年
初出場 1946年
最終出場 1952年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

清原 初男(きよはら はつお、1917年11月17日[1] - 2007年[2])は、熊本県[3]出身のプロ野球選手(内野手)・解説者。

台南一中から立教大学へ進み、大正興業から1946年途中にゴールドスターへ入団[3]。入団前は済々黌中のコーチをしていたが1946年8月に熊本遠征で来ていたゴールドスター監督の坪内道典と出会った事でプロ入りに至った[3]。

1947年からレギュラーとして活躍し、この年まで投手を兼任した[3]。1949年に東急フライヤーズへ移籍し、1950年は西日本パイレーツでプレーした[3]。1951年は西日本が西鉄クリッパースに吸収されたため、その後身の西鉄ライオンズでプレーした[3]。1952年に引退した後は、日本短波放送「プロ野球ナイトゲーム中継・たんぱストレートナイター」解説者(1954年 - 1962年, 1977年)を務めた。

2007年に死去していることが『野球博覧』(東日印刷企画編集室)の訃報欄に記されている[2]。

打撃力はなかったものの、ここぞという所で安打を放つ勝負強さと堅実な守備力があった。特筆すべきは三振がかなり少なく、1948年のシーズン23個が最高。それ以外のレギュラーシーズンでは20個未満に抑え、通算でも四球数の半数にも満たしていない。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1946 ゴールドスター
金星
25101933296003513210--7--11--.312.366.376.743
1947 119483436371011212121341472--45--015--.232.304.278.581
1948 135561507491221872160471075--47--223--.241.308.316.623
1949 東急 13454849651119275416848833--49--019--.240.308.339.647
1950 西日本 1174684234310190512569641--44--01512.239.310.296.606
1951 西鉄 6318917212353114312134--12--194.203.259.250.509
1952 325754114300179000--3--034.259.298.315.613
通算:7年 62524072181196521781414669232412515--207--48520.239.306.307.613
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ゴールドスターは、1947年に金星(金星スターズ)に球団名を変更

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1946 ゴールドスター
金星
4430022----.50014735.034113--1100013102.571.34
1947 3100001----.0004310.0609--0200321.801.50
通算:2年 7530023----.40019045.040122--1120016122.401.38
  • ゴールドスターは、1947年に金星(金星スターズ)に球団名を変更

背番号

  • 9 (1946年 - 1950年)
  • 33 (1951年 - 1952年)

脚注

関連項目

外部リンク

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