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清崎駅

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清崎駅(きよさきえき)は、愛知県北設楽郡設楽町にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の駅。北設楽郡田口町(1956年以降設楽町)にあった駅の一つである。

所在地 愛知県北設楽郡設楽町清崎
北緯35度3分56.5秒 東経137度33分9.5秒
所属路線 田口線
キロ程 18.1 km(本長篠起点)
概要 清崎駅, 所在地 ...
清崎駅
きよさき
Kiyosaki
◄長原前 (1.1 km)
(4.5 km) 三河田口►
所在地 愛知県北設楽郡設楽町清崎
北緯35度3分56.5秒 東経137度33分9.5秒
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 田口線
キロ程 18.1 km(本長篠起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
168人/日(降車客含まず)
-1957年度-
開業年月日 1930年(昭和5年)12月10日
廃止年月日 1968年(昭和43年)9月1日
備考 有人駅
特記のないデータは廃止時
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1977年の清崎駅跡とその周囲。赤で囲った場所に駅があった。赤い線は田口線の廃線跡。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成

歴史

清崎駅は1930年(昭和5年)12月10日、田口鉄道により開設された[1][2]。

田口鉄道は、現在のJR飯田線本長篠駅と設楽町を結んだ鉄道である。三河海老駅を終点としていた同鉄道の第一期線に続いて第二期線が開通したとき、この清崎駅が新たな終着駅となった。三河田口駅までの第三期線が開通し、田口鉄道が全通したのは2年後の1932年(昭和7年)である[3]。

駅の置かれた清崎は、豊橋と長野県の飯田を結んだ伊那街道沿いの地域である。街道の宿場として栄えた旧萩平村(愛知県立田口高等学校周辺)を含む地域であるが、駅は南部の東田内地区に立地した[4]。

1956年(昭和31年)10月1日、田口鉄道が豊橋鉄道に合併されたため豊橋鉄道田口線の駅となる。それから8年後の1964年(昭和39年)、豊橋鉄道は赤字の拡大を理由に田口線の廃止を決定、沿線自治体などとの協議を開始した[5]。その最中の1965年9月17日から翌18日にかけて襲った台風(台風24号)の被害で、清崎・三河田口間が不通、バス代行となってしまう[6](同区間は1966年(昭和41年)10月1日より休止[1])。同区間も含めて田口線は1968年(昭和43年)9月1日付で全線廃止される[1]が、その直前の8月29日に再度台風(台風10号)で被災し、今度は田峰駅から清崎駅までの区間が線路破壊により不通となり、最終営業日は三河海老駅から先の区間は運転していなかった[7]。

廃線となった田口線はバスに転換された。2012年現在、田口線があったルートに沿って走るバスは豊鉄バス田口新城線である。設楽町清崎には、駅名と同じ「清崎」という名のバス停がある[8]。駅の跡地は国道257号清崎交差点の南方で、線路跡は国道に取り込まれている[9]。駅名標が廃止後も残っていたが、1997年(平成9年)に撤去された[10]。

構造

島式ホーム1面2線とその両側に貨物側線各1線を持つ[11]有人駅で、1956年(昭和31年)の時点で駅長を含めて4人配置されていた[12]。

この駅の少し変わった点としては、三河田口寄りの場内信号機が、第二と第一の二箇所あった点が挙げられる。第二場内は第三寒狭川橋梁たもとにあり、第一場内は野々瀬川橋梁たもと、清崎駅構内入口にあった。

利用状況

1957年度の乗車人員は6万1千人(1日平均168人)で、そのうち5割にあたる3万1千人が定期乗車券での利用客であった。この乗車人員は田口線全11駅の中で三河大草駅・長原前駅・三河大石駅・滝上駅に次いで5番目に少ない[13]。

同年度における貨物取扱量は、発送が2,190トン、到着が1,524トンであった。田口線の貨物取扱駅は7駅あったが、取扱量はその中では少なく上から5番目である[13]。

隣の駅

豊橋鉄道
田口線
長原前駅 - 清崎駅 - (貨)大久賀多駅 - (臨)鮎淵駅 - 三河田口駅

文学作品において

新美南吉
だんだん三河の山の中へはいつて来て、鳳来寺口といふ駅で、四度目に電車を乗り換へた。中の空いた、病室のやうに白く塗られた単線のたゞ一輌の車に乗りこんで、もうこれで乗り換へはないと思ふと青木太郎はややほつとする。(中略)電車は小さい山をいくつも突きぬけて行くらしく、矢つぎ早に隧道をくぐる。
—新美南吉『山の中』

  

新美南吉の小説『山の中』は、実家が問屋で金銭に何不自由しない主人公の青木太郎は家業を継ぐ訳でもなく無為な生活を送っていたが、女中に勧められて奥三河の塩津温泉を訪れるという内容で、温泉に至るまでの道中や塩津温泉での人間模様が描かれるという内容となっている[14]。『山の中』は未完の小説であるが『校定新美南吉全集』第7巻に収録されている[15]。

『山の中』では田口鉄道の詳細な描写があり、歴史史料としての価値が認められている。主人公の青木太郎が塩津温泉に至る経路については、鳳来寺口駅(現在の本長篠駅)で先に乗ってきた電車から田口鉄道の電車に乗り換え、清崎駅で下車し塩津温泉に至るという経路となっている。また主人公が下車した清崎駅前の街並みについても作中で言及がある[16]。新美南吉記念館館長の遠山光嗣は、作中での克明な描写から鑑みて、実際に新美南吉が作中と同様のルートで塩津温泉を訪れた可能性が高く、その時の体験をもとに作品を書いたのだろうと推測している[17]。

2025年には小説『山の中』にちなんだ特別展示「南吉のあるいたしたら」が設楽町奥三河郷土館で催された[18]。

脚注

参考文献

関連項目

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