清崟太郎

From Wikipedia, the free encyclopedia

清崟太郎

清 崟太郎(せい きんたろう、1874年明治7年〉3月3日[1] - 1921年大正10年〉5月29日[2])は、衆議院議員立憲政友会)。

静岡県富士郡柚野村(現在の富士宮市)で酒造業を営む清家の四男として生まれた。1903年(明治36年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業後、中央新聞の記者となった[3]。その後、東京市長尾崎行雄の知遇を得、市長秘書役に抜擢された。

1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。その他、東京市会議員も務めた[1]

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI