渋井敬一

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1959-08-29) 1959年8月29日(65歳)
身長
体重
176 cm
80 kg
渋井 敬一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市緑区
生年月日 (1959-08-29) 1959年8月29日(65歳)
身長
体重
176 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1977年 ドラフト2位
初出場 1978年8月27日
最終出場 1991年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ヤクルトスワローズ (1993 - 1994)

渋井 敬一(しぶい けいいち、1959年8月29日 - )は、神奈川県横浜市緑区[1]出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

桐蔭学園高校では、1977年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、東海大相模高に敗退。高校の2学年先輩には水上善雄長内孝がいた。

同年のドラフト2位でヤクルト入団[1]

1979年に一軍に定着。打撃面で伸び悩むが、内外野をこなすユーティリティプレイヤーとして活躍。特に内野手としては球界トップレベルの守備力を誇った。

1981年には遊撃手二塁手として39試合に先発出場。

1986年水谷新太郎角富士夫らとの併用ながら73試合に先発を果たす。

1987年にはその高い守備力を買われ、打率.198ながら二番打者、二塁手としてレギュラー定着、遊撃手池山隆寛との鉄壁の二遊間を築いた。またバントの名手でもあり、同年にセ・リーグ最多の35犠打を記録している。

1988年以降は土橋勝征笘篠賢治ら若手の台頭もあって守備固めとしての出場が増えていったものの、ガッツ溢れるファインプレーでチームの危機を何度も救った。

1992年現役引退[1]

1994年までヤクルトのコーチを務めた。退団後は父親が経営する建築会社を継ぎ[2]、2012年からは横浜緑リトルシニアの監督も務める[2]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1978 ヤクルト 7001000000000000000----------------
1979 3279646141011852070602181.219.306.281.587
1980 50766814191022664121302161.279.324.382.707
1981 79153143112830237113520602296.196.238.259.497
1982 6413812892621133133261300281.203.220.258.478
1983 3033283510062111020250.179.281.214.496
1984 741281071925711371132611202181.234.320.346.665
1985 4077671316201212013070094.239.311.313.624
1986 10326123429571214832531731512514.244.291.355.646
1987 11838532445645168919633522202709.198.251.275.526
1988 1082231892539612538121621135472.206.266.280.546
1989 8272658204012710040300112.308.338.415.754
1990 2526211300031002030080.143.250.143.393
1991 14990200020000000020.222.222.222.444
通算:14年 8261660144718431844521435104261891109341931231.220.274.301.575
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 39 (1978年 - 1992年)
  • 90 (1993年 - 1994年)

出典

関連項目

外部リンク

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