水谷新太郎
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湘南シーレックス(横浜二軍)内野守備走塁コーチ時代 2010年8月15日 横須賀スタジアム | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 三重県松阪市 |
| 生年月日 | 1953年12月7日(72歳) |
| 身長 体重 |
176 cm 74 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 遊撃手 |
| プロ入り | 1971年 ドラフト9位 |
| 初出場 | 1974年10月15日 |
| 最終出場 | 1989年10月13日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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水谷 新太郎(みずたに しんたろう、1953年12月7日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。
三重高校では遊撃手として1971年春の選抜に出場。1回戦で近大付の中司得三投手に抑えられ敗退[1]。同年夏の甲子園予選では三岐大会準決勝で長良高に敗れる[2]。高校1期下のチームメートに左翼手の新谷嘉孝がいた。
1972年、ドラフト9位でヤクルトアトムズに入団。プロ入り2年目から右打ちを左打ちに変更。
1976年は、5月から渡辺進に代わり遊撃手として起用されるが打撃面で伸び悩む。
1978年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでは全7戦に八番打者として先発出場、20打数3安打に終わるが、守備の要として日本一に貢献している。
1980年にはサム・パラーゾが入団し二塁手に回るが、9月には定位置に復帰した。
1984年には自己最高の打率.291(リーグ19位)を記録した。
1985年までレギュラーを任される。
1986年は渋井敬一、池山隆寛が台頭。6月から二塁手に回り、角富士夫らと併用された。同年より右膝の半月板から左膝、脹脛と相次ぐ足の故障に悩まされる[3]。
1987年はその痛みを口にしたことが関根潤三新監督の逆鱗に触れたこともあり一軍公式戦出場なし[4]。
1988年には復帰するも段々と出場機会が減っていく。
1990年限りで現役引退。
1991年はヤクルトの守備走塁コーチに就任。宮本慎也を一本立ちさせた[5]。
2007年スカウトに転身し、東北担当として佐藤由規・山本斉の両高校生を担当していた。
2010年から2012年までは二軍(2010年まで湘南シーレックス)の内野守備走塁コーチを務めた。選手時代も含め、初めてヤクルト以外の球団に在籍することになった。
2015年に古巣のヤクルトに二軍内野守備走塁コーチとして復帰。