渋谷稔也
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熊本空港カントリークラブで初めて開催された1984年の九州オープンでプロデビューし、鈴木規夫・秋富由利夫・白石達哉・中川原邦治・上田鉄弘・池原厚を抑えて[1]初優勝を飾り[2]、1979年の中四国オープンを制した重信秀人以来2人目となるデビュー戦優勝[3]となった。
1987年の九州オープンでは6位[4]、1988年のアジアサーキット・インディアンオープンではタウォーン・ウィラチャント(タイ王国)と並んでの5位タイ[5]、1991年の関西オープンでは上出裕也・甲斐俊光と並んでの4位タイ[6]に入り、1992年のミズノオープン[7]を最後にレギュラーツアーから引退。
2020年3月まで3期6年間、日本プロゴルフ協会副会長(総務財務委員長)を務め、在任中はPGAの財政健全化、地元の関西地区におけるゴルフ振興などに尽力[8]したが、同年5月4日午後7時9分、膵癌のため、東大阪市の自宅で死去。享年61歳[9]。