湯殿山麓呪い村

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湯殿山麓呪い村』(ゆどのさんろくのろいむら)は山村正夫推理小説[1]。またそれを原作とした日本の伝奇ミステリー・サスペンス映画。角川書店の制作[2]東映セントラルフィルムの配給により[2]、1984年5月26日に公開された[3][4]。同時上映は井筒和幸監督の『晴れ、ときどき殺人』。

概要

1980年9月に角川書店から単行本発売された伝奇本格推理小説[4]。同年、角川小説賞を受賞している[1]。その後1983年にカドカワノベルズ、1984年に角川文庫で上下巻が発売。1994年にケイブンシャ文庫(全一巻)、1997年には角川文庫から〈名作リバイバルコレクション〉のラインナップにて、新装復刊版が上下巻で発売されている。

また、探偵・滝連太郎を主人公とする伝奇ミステリシリーズ第一作でもある。

映画

概要 湯殿山麓呪い村, 監督 ...
湯殿山麓呪い村
監督 池田敏春
脚本 荒井晴彦
佐伯俊道
製作 紫垣達郎
伊藤亮爾
黒澤満
出演者 永島敏行
織本順吉
岩崎加根子
永島暎子
仙道敦子
青木義朗
田中義尚
榎木兵衛
音楽 林光
撮影 山崎善弘
編集 井上治
製作会社 角川書店[2][注 1]
配給 東映セントラルフィルム[2]
公開 日本の旗 1984年5月26日
上映時間 112分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 3億9000万円[6]
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1984年5月26日公開の日本映画[5][7][8]。作品の舞台となったのは山形県鶴岡市に現存する湯殿山麓である。

あらすじ (映画)

大学講師で考古学者の滝連太郎(永島敏行)が、湯殿山麓に眠る幽海上人即身仏(ミイラ)の謎を解明すべく調査を開始すると、しだいに次々と奇怪な連続殺人が起こり、事件に巻き込まれてしまう[1][2][7]

スタッフ

キャスト

製作

映画公開時に角川文庫から出ていた原作者山村正夫の本は、本作上下巻と『ボウリング殺人事件』だけでフェアも出来ず[4]角川春樹は1976年に映画への参入を表明した際に「出版とのジョイントなくして角川映画は存在しない」と述べていたが[9]、この点ではメリットの少ない映画製作だった[4]。角川映画の番頭だった古澤利夫(藤峰貞利)は「年間9本も作品があると、とても私は監督や俳優の人選など、全てを細かくやっていくわけにはいかない。それで『晴れ、ときどき殺人』と『湯殿山麓呪い村』の二本立ては東映セントラル黒澤満さんが面倒を見てくれました…春樹さんはこの二本立てに力を入れてなかった。気持ちは夏に公開される自分の監督第二作『愛情物語』の方に向いていました」などと述べている[10]。黒澤以外の二人のプロデューサー・紫垣達郎、伊藤亮爾もセントラル・アーツのプロデューサーで[11]、『晴れ、ときどき殺人』『湯殿山麓呪い村』のそれぞれの監督、井筒和幸も池田敏春もセントラル・アーツに関わるプロデューサー、伊地智啓や山本勉を介してディレクターズ・カンパニーに協力要請があったとされ[12]、監督選定からキャスティングまでセントラル・アーツが担当した映画で[12]、ここからセントラル・アーツが角川映画の制作チームになっていく流れができた[11][12]。セントラル・アーツは東映の制作部門の一つ[12]。おどろおどろしい山村を舞台に展開する奇怪な連続殺人を描いた本作は、都会的で軽いノリがトレードマークであるセントラル・アーツ作品としては異色の一本となった[12]。二本分なのか一本分なのかは分からないが、総製作費4ー5億円のローバジェット映画とされる[13]

監督&キャスティング

監督の池田敏春は本作の約1か月前に公開された一般映画進出第一作『人魚伝説』で、プロポーションのいい女性を海女にして全裸で全部血だらけにする自身の趣味全開の映画で大コケしたが[14]、一部に熱狂的なファンが付いていた[14]。キャスティングは実力はあるが何とも地味な顔ぶれ[4]

宣伝・興行

エマニエル夫人』などの興行で知られる東宝のミドル級シアター・みゆき座を中心に二本立ての全国公開[13]。配給の東映セントラルフィルムが宣伝費8000万円を負担[13]。東映サイドとしてはTVもラジオも使わず、もっぱら『晴れ、ときどき殺人』の渡辺典子人気に賭けた[13]。角川サイドは原作本絡みでTVスポットを担当するが『探偵物語』や『里見八犬伝』に比べれば規模はかなり小さいものとなった[13]。しかし渡辺典子を売り出すべく「渡辺典子プッシュマン軍団」を設立し、典子ファンを集めて各種イベントに参加させる算段をしていた[13]。また『少年ケニヤ』のアニメはコケたが[13]、渡辺が歌った主題歌少年ケニヤ」は売上げも良かったことから、渡辺は『晴れ、ときどき殺人』でも主題歌「晴れ、ときどき殺人」を担当し、1984年4月中旬から1か月以上もかけて全国キャンペーンを行い映画もアピールした[13]。このように宣伝は『晴れ、ときどき殺人』をメインにするものだった[13]。『晴れ、ときどき殺人』と『湯殿山麓呪い村』は完成が遅れ、『晴れ、ときどき殺人』が1984年5月中旬、『湯殿山麓呪い村』が封切直前に完成と[13]、充分な試写宣伝も出来ず、口コミを封切後に期待するしかない状況で[13]プログラムピクチャー、安い宣伝費、遅い仕上がりといったマイナス材料にも関わらず、角川のネームバリューと信用が物を言い、この二本立てのブッキングは急増し、1984年4月中旬には全国120館に達した[13]

作品の評価

興行成績

ディレクターズ・カンパニーの監督二人によるミステリ二本立ては3億9000万円の配収で興行的には振るわなかったとされる[4]。『映画年鑑 1985年版』には「興行的には伸び悩んだ」と書かれている[15]

ソフト

東映ビデオからビデオが発売されていた[8]DVDも発売されている[7]

脚注

関連項目

外部リンク

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