参議を経ずに権中納言に任ぜられるという摂関家出身者並の昇進をし最終的には従一位に叙せられるなど、破格の待遇を受けた。
洞院公定の日記『玉英記』の記事に従えば、宗明は久良親王の息男ということになる[3]。また、『師守記』の内容から判断すると、当時既に出家していた久良親王(土御門入道親王)から臣籍降下した後に親王に復した例について意見を求められて所見を述べた[4]とあるのは、息男宗明の将来を念頭に置いてのことではないかと推測できる。
『玉英記』や『師守記』の内容から判断すると、宗明が元服する頃に実父の久良親王[5]は既に出家していたため二条家が後見となったのではないかと推測できる[6]。