滝川一勝
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経歴
『寛永諸家系図伝』によれば、滝川氏の始祖である。滝川氏は紀長谷雄を遠祖とする河内国高安庄司の後裔で、伊予守某の長男八郎貞勝が次男九郎貞行を高安に残して近江国一宇野城に住し、貞勝の長男久助一勝は一宇野城から滝の城に移り住んで滝川を号した[注釈 2]。一勝の長男九郎範勝は一宇野城に住し、次男が尾張国に移って織田信長に仕えた滝川一益である[11]。
近江国では18世紀前半成立の『近江輿地志略』で甲賀郡櫟野(いちの/いちいの)村(滋賀県甲賀市甲賀町櫟野)に滝川氏居住の跡と言われる古城址の伝承が記録されており[13]、現在では櫟野字五反田にあった平山城跡が「滝川城」と呼ばれていて[14]、甲賀市の市指定史跡となっている[15]。地元ではこの滝川城が『寛永諸家系図伝』の一宇野城、櫟野川の下流に当たる甲賀町滝が滝の城の所在地に比定されている[16]。
『寛政重修諸家譜』でも、『寛永諸家系図伝』を踏襲し、一勝は滝川氏の始祖とされる[12]。ただし、『寛政重修諸家譜』の編纂に先立って一益の長男一忠の子孫が提出した家譜では、一勝と貞勝が混同されて一益は一勝から三代目とされており、次男一時の子孫が提出した家譜は一益から始まっていて、一勝に関する記載が一切ない[17]。
『寛永諸家系図伝』と異なり、滝川氏を甲賀二十一家・甲賀五十三家のひとつで伴資兼の後裔を称する大原氏の一族とする説もある[8]。大原氏は甲賀郡南部の大原庄に擬制的同族組織である同名中惣を形成しており[18]、一勝の父貞勝が櫟野を領する大原同名中の櫟野氏から同族の滝川氏を継いだとする。この説を取る系図では、一勝の居城や経歴については明確ではない[9][19]。