無我 (プロレス)
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概要
「無我」の構想は、藤波が腰を痛めて1989年6月から1990年9月まで1年3ヶ月の間、長期休養していた時に思い浮かべていたもので、当時の新日本プロレスの現場を指揮する長州力や、台頭著しい闘魂三銃士などの存在を意識し、新日本本隊とは別部隊で若手を育成しようと考えていた。
その後、藤波は新日本本隊から選手や資金などの援助を受けず、可能な限り自力で新日本の興行の負担とならない規模で赤字を出さないよう(興行収益が得られるよう)考え抜き、自主興行開催の準備を進めていた。ちょうどその頃、坂口征二より海外修行中の西村修の身柄を引き受けるよう打診されたことで話が大きく動き出す。
藤波が西村にコンタクトを取った際、西村はイギリスのビリー・ライレージムに接点を持っていた。藤波の構想した野毛道場で身につけた基本の技術を追求する思想の延長線上にあるスタイルと、西村が学んでいた欧州のオーソドックスなスタイルとの親和性は高く、西村は無我の思想に共鳴して帰国を決意。この流れでイギリスのライレージムの協力により海外からの選手参戦の糸口が見つかり、1995年10月に自主興行としての無我旗揚げ戦が開催された。以降、藤波が新日本との契約を満了して退団する2006年まで断続的に開催された物が、新日本所属の藤波の自主興行としての無我である[1]。
主要参戦選手
所属選手
来日外国人選手
大会一覧
| 大会名 | 日付 | 会場 | 開催地 |
|---|---|---|---|
| 無我旗揚げ戦 時間よ止まれ | 1995年10月29日 | ATCホール | 大阪府大阪市 |
| 無我フォーエバー | 1995年12月13日 | 博多スターレーン | 福岡県福岡市 |
| DRAGON ZONE | 1996年10月5日 | 大宮スケートセンター | 埼玉県大宮市 |
| DRAGON ZONE | 1996年10月7日 | EBiS303 | 東京都渋谷区 |
| キャッチ・アズ・キャッチ・キャン | 1996年12月15日 | EBiS303 | 東京都渋谷区 |
| 温故知新 | 1997年3月30日 | ATCホール | 大阪府大阪市 |
| ランカンシャーレスリング・トーナメント | 1997年7月22日 | 博多スターレーン | 福岡県福岡市 |
| ランカンシャーレスリング・トーナメント | 1997年7月23日 | ビーコンプラザ | 大分県別府市 |
| 龍魂伝承 | 1998年3月3日 | EBiS303 | 東京都渋谷区 |
| 原点龍帰 | 1998年5月15日 | 大阪府立体育会館第2競技場 | 大阪府大阪市 |
| DREAM-1 | 1998年12月8日 | EBiS303 | 東京都渋谷区 |
| 無我 | 2001年10月7日 | 後楽園ホール | 東京都文京区 |
| 無我 2002 in TOKYO | 2002年10月6日 | 後楽園ホール | 東京都文京区 |
| 無我 2002 in OSAKA | 2002年10月9日 | 大阪府立体育会館第2競技場 | 大阪府大阪市 |
| 無我 | 2005年1月29日 | 札幌テイセンホール | 北海道札幌市 |
無我ワールド・プロレスリング
→詳細は「ドラディション」を参照