熊沢龍

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熊沢 龍(くまざわ りゅう、1901年2月3日 - 1974年2月28日)は、昭和時代言語学者国語教育者東京教育大学名誉教授東京成徳短期大学学長、日本国語教育学会理事長を務めた。位階および勲等正三位勲三等

東京府南多摩郡忠生村大字上小山田(現在の東京都町田市常盤町)の寺子屋師匠である斎藤楓山の長男として生まれる。後に熊沢家の養子となる。父は1873年、現在の小山田小学校の前身である有隣学舎の訓導となった。1908年5月、病気のため辞職し同年12月17日に没したが、村民の教育のために一生を捧げた。祖父は本山派修験の持宝院不動尊の山主であった阿闍梨芳山。

東京文理科大学文学科を1932年に卒業後、同大学の研究科に入り、1934年助手となる。1936年フランスドイツに留学した。1939年東京高等師範学校の教授に就任した。1949年、東京教育大学教授となり、1964年に退官する。1965年に東京成徳短期大学の学長に就任した。他に国語審議会委員、全日本国語教育学会理事長を務め、国語教育および言語教育に尽力した[1]。没後の1978年に子孫や教え子などにより、父祖の墓所地である町田市常盤町3271に胸像が建てられた。

家族

  • 妻 - 高子
  • 長男 - 熊沢敦
  • 次男 - 熊沢二郎
  • 弟 - 斎藤参麿

著書

文献

脚注

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