熊沢龍
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東京府南多摩郡忠生村大字上小山田(現在の東京都町田市常盤町)の寺子屋師匠である斎藤楓山の長男として生まれる。後に熊沢家の養子となる。父は1873年、現在の小山田小学校の前身である有隣学舎の訓導となった。1908年5月、病気のため辞職し同年12月17日に没したが、村民の教育のために一生を捧げた。祖父は本山派修験の持宝院不動尊の山主であった阿闍梨芳山。
東京文理科大学文学科を1932年に卒業後、同大学の研究科に入り、1934年に助手となる。1936年にフランスとドイツに留学した。1939年、東京高等師範学校の教授に就任した。1949年、東京教育大学教授となり、1964年に退官する。1965年に東京成徳短期大学の学長に就任した。他に国語審議会委員、全日本国語教育学会理事長を務め、国語教育および言語教育に尽力した[1]。没後の1978年に子孫や教え子などにより、父祖の墓所地である町田市常盤町3271に胸像が建てられた。
家族
- 妻 - 高子
- 長男 - 熊沢敦
- 次男 - 熊沢二郎
- 弟 - 斎藤参麿