熱力学的状態

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熱力学的状態(ねつりきがくてきじょうたい、: thermodynamic state)とは、熱力学において、ある熱力学系の巨視的な条件を、その系に適した有限個の熱力学変数状態変数)の値によって規定したものである。十分な状態変数の組が与えられると、その系の他の熱力学的性質は一意に定まり、その系はある熱力学的状態にあるという。古典的熱力学では、特に断らない限り、熱力学的状態とは通常熱力学平衡にある状態、より厳密には安定平衡状態を指す。[1][2]

熱力学は、物質や系の巨視的ふるまいを、温度、圧力、体積、物質量、組成などの少数の変数によって記述する理論である。熱力学的状態は、そのような巨視的変数の集合によって系の条件を表す概念であり、個々の粒子の位置や運動量を逐一指定するものではない。[3][2]

同一の熱力学的状態にある系では、内部エネルギーエントロピーエンタルピーギブズエネルギーなどの状態量は同じ値をもつ。これに対して、仕事は状態そのものではなく、ある状態から別の状態へ移る過程に付随する量であり、一般には経路に依存する。[4][3]

定義と基本的特徴

熱力学的状態の概念は、熱力学が微視的自由度を平均化した巨視的理論であることと結びついている。実在の物質は非常に多くの粒子から構成されるが、熱力学ではそれらを直接扱う代わりに、測定可能な巨視的量を用いて系を記述する。そのため、微視的配置が異なっていても、巨視的変数の値が同じであれば、同一の熱力学的状態として扱われる。[2][5]

熱力学的状態は、単なる観測値の寄せ集めではなく、制約条件を満たした独立変数の組として理解される。安定平衡状態にある単純系では、独立な状態変数を指定すれば、他のすべての熱力学的性質はその関数として定まる。[1][3][4]

平衡状態との関係

古典的熱力学でいう熱力学的状態は、通常、熱力学平衡にある状態を意味する。熱力学平衡とは、系が自発的に他の状態へ変化しようとする傾向をもたず、巨視的性質が時間的に変化しない状態である。[1][2]

熱力学平衡は、より細かくは熱平衡、力学的平衡、化学平衡などが同時に成立した状態とみなされる。たとえば、系の内部に温度差があれば熱流が生じ、圧力差があれば巨視的運動が起こり、化学ポテンシャル差があれば拡散や反応が進行する。これらの駆動力が消失したとき、系は平衡状態に達する。[1][3]

平衡状態のうち、微小な擾乱に対して自発的に元の近傍へ戻るものは安定平衡状態と呼ばれる。熱力学では、とくに安定平衡状態が状態量や基本関係式の定義の基礎を与える。[2][4]

状態変数

熱力学的状態を表す変数には、温度、圧力、体積、物質量、組成のほか、磁化、分極、表面積、電場・磁場に関係する量など、系に応じたものが含まれる。これらのうち、系の大きさに比例して増減する量は示量変数、系の大きさによらない量は示強変数と呼ばれる。体積や内部エネルギー、エントロピーは示量変数、温度や圧力、化学ポテンシャルは示強変数の代表例である。[4][3]

熱力学的状態の指定に必要な独立変数の数は、系の種類や拘束条件に依存する。単純な圧縮系で組成が固定されていれば、通常は二つの独立変数で状態が定まる。たとえば理想気体では、物質量を固定すれば圧力、体積、温度の三量のうち二つを与えることで残り一つが決まる。[3][4]

状態原理と基本関係式

安定平衡状態にある単純系では、その状態は少数の独立変数で表され、他のすべての熱力学量はそれらの関数となる。さらに、熱力学の基本法則を満たす系では、エネルギー表示

あるいはエントロピー表示

のような基本関係式が存在し、そこから温度、圧力、化学ポテンシャルなどが偏微分として導かれる。[2][4]

単純圧縮系・単一成分系では、基本関係式の全微分として

が得られる。ここで は温度、 は圧力、化学ポテンシャルである。この式は、内部エネルギーが状態量であり、熱力学的状態の微小変化が対応する示強量によって特徴づけられることを示している。[3][2]

この基本関係式から、ルジャンドル変換によってエンタルピー、ヘルムホルツエネルギー、ギブズエネルギーなどの熱力学ポテンシャルが導入される。どのポテンシャルを用いるかは、温度・圧力一定、体積一定など、系を取り扱う条件に応じて選ばれる。[3][4]

状態方程式との関係

状態方程式は、熱力学的状態を記述する変数の間に成り立つ関係式である。状態方程式そのものが状態ではないが、独立変数と従属変数の関係を与えることで、状態の指定に必要な情報を提供する。[3][4]

理想気体では

が状態方程式であり、物質量を固定すれば三量のうち二つを指定することで状態が定まる。実在流体では、状態方程式はより複雑となり、相転移や臨界点近傍では単純な近似式では十分でないことが多い。[3][6]

工学熱力学や物性研究では、実在流体の性質を高精度に与えるため、自由エネルギー表示を基礎にしたより精密な状態方程式が用いられる。[3][7]

自由度とギブズの相律

平衡熱力学では、状態を指定するのに必要な独立変数の数はギブズの相律によって整理される。非反応系に対して相律は

で表され、ここで は自由度、 は独立成分数、 は相の数である。[3][6]

たとえば一成分一相系では自由度は2であり、温度と圧力を独立に選ぶことができる。一方、一成分二相共存系では自由度は1となり、温度を定めると圧力が自動的に定まる。三重点では三相が共存するため自由度は0となり、温度と圧力はともに固有の値に固定される。[3][6]

このように、熱力学的状態は可能な変数を無制限に選べるわけではなく、相平衡や組成、外場などの制約のもとで決まる自由度の範囲内で指定される。

状態量と過程量

熱力学的状態から一意に定まる量は状態量と呼ばれる。内部エネルギー、エントロピー、エンタルピー、ヘルムホルツエネルギー、ギブズエネルギーなどはその代表であり、これらの変化量は初状態と終状態だけで決まり、そこへ至る経路には依存しない。[4][3]

これに対して、熱や仕事は過程量であり、一般には経路依存である。たとえば同じ初状態と終状態を結ぶ場合でも、等温変化、断熱変化、等圧変化など、どのような過程を経るかによって、系が受け取る熱や外界にする仕事の値は異なる。[4][3]

状態空間と熱力学面

熱力学的状態の全体は、選んだ独立状態変数を座標とする抽象的な空間として表すことができ、これを状態空間という。単純系では、圧力-体積平面や温度-エントロピー平面などが、状態の変化を図示する代表的な方法である。[3][4]

また、純物質の単純系では、内部エネルギーをエントロピーと体積の関数として表した

のような基本関係式を幾何学的に熱力学面として表現できる。この面の接平面の傾きが温度や圧力に対応し、相平衡や安定性の議論にも用いられる。[2][6]

相平衡と相転移

熱力学的状態は、相平衡や相転移の議論においても中心的概念である。液体と蒸気が平衡共存しているとき、両相の温度と圧力は等しく、さらに純物質では化学ポテンシャルも等しい。温度や圧力を変化させると、相平衡の条件が変わり、系は別の熱力学的状態へ移る。[3][6]

相共存曲線上では、自由度が減少するため、状態の取りうる範囲は単相領域よりも制限される。たとえば液体-蒸気共存線上では、温度を定めると飽和圧力が一意に定まる。さらに臨界点では液体相と気相の区別が消失し、系の状態記述は特有の臨界挙動を示す。[3][6]

安定性と平衡判定

熱力学的状態が平衡状態であるかどうか、またその平衡が安定であるかどうかは、適切な熱力学ポテンシャルの極値条件によって判定できる。孤立系では、平衡状態は全エントロピーが最大となる状態である。[1][2]

一方、温度と圧力が一定に保たれた条件では、ギブズエネルギーが最小となる状態が平衡状態である。温度と体積が一定の場合にはヘルムホルツ自由エネルギーの最小条件が対応する。このような極値原理は、どの熱力学的状態が自発変化の終着点となるかを判定する基準を与える。[3][7]

ギブズ-デュエム関係

単純な均一系では、示強変数どうしは互いに独立ではなく、ギブズ-デュエムの式

のような関係を満たす。これは、温度、圧力、化学ポテンシャルが同時に任意には変化できないことを示しており、熱力学的状態の自由度が制約を受けることの一例である。[3][6]

非平衡状態

厳密な意味での熱力学的状態は平衡状態を前提とすることが多いが、非平衡熱力学では、空間を十分小さな要素に分け、それぞれの内部では平衡の関係式が近似的に成り立つとみなす局所熱力学平衡の考え方が用いられる。この場合、温度や圧力、化学ポテンシャルなどは位置と時刻の関数として定義される。[8]

ただし、非平衡状態では一般に、有限個の平衡状態変数だけで系を完全に記述できるとは限らない。熱流、物質流、速度勾配、履歴効果など、平衡からのずれを表す追加情報が必要になることがある。そのため、非平衡系における「状態」の概念は、平衡熱力学におけるそれより広く、近似的かつ文脈依存的である。[8]

統計力学との関係

統計力学では、熱力学的状態は多数の微視的状態の集団平均として理解される。巨視的に同じ温度、圧力、体積などをもつ状態は、多数の微視的配置に対応しうる。熱力学が扱う状態量は、そのような微視的状態の統計的性質を巨視的に要約した量とみなされる。[2][5]

この対応は、熱力学的状態が微視的完全記述ではなく、可観測な巨視的条件に基づく縮約記述であることを示している。

化学熱力学における注意

化学熱力学では、熱力学量を比較・表記するために標準状態や基準状態が用いられる。したがって、熱力学的状態という一般概念と、標準生成エンタルピーや標準モルギブズエネルギーなどの記述に現れる標準状態・基準状態とは区別する必要がある。後者は参照のための約束であって、熱力学的状態一般の定義ではない。[7][3]

関連概念との区別

熱力学的状態は、系そのものの巨視的条件を指す概念である。これに対して状態量は、その状態から一意に定まる物理量であり、状態方程式は状態変数の間に成り立つ関係式である。また標準状態は、熱力学量の表記のために慣例的に定められた参照状態である。これらは相互に密接に関係するが、同一概念ではない。[3][4][7]

脚注

関連項目

参考文献

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