牡丹峰
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その名の由来は、全体の姿が牡丹の花のようであるからだという。東に大同江が接し、北・西・南の三方向へは山頂からいくつもの尾根が花のように広がっている。平壌でも一番の景観のすばらしさから文人に称えられ、朝鮮八景や平壌八景の一つになっている。かつての高句麗時代以来、平壌城の北端を守る要塞であり、今も城壁や楼閣が残る。
文禄の役では一旦日本軍に占領され、明軍との戦闘により楼閣や仏閣が破壊された。日清戦争の際は清国軍の守る要塞・牡丹台であり、1894年9月15日からの平壌の戦いの際には日本軍との間の激戦地となり、ここから平壌城が陥落した。日本統治時代には南側の丘の上に平壌神社が建てられた。
丘陵地や周囲一帯は現在公園となっており、遊園地が整備されている。また、公園周囲は文化施設や、凱旋門・金日成スタジアムなどの記念物が散在する。
城郭・楼閣など



これらの起源は多く高句麗の都城にさかのぼり、その礎石を使用するなどしている[1]。
- 乙密台(ウルミルデ):景観の良さで知られ平壌八景の一つ。高句麗時代以来の軍事指揮台だった。
- 最勝台(チェスンデ):丘陵の北端で最高地点。最前線指揮台で1716年再建の楼閣が残る。日清戦争の際の最激戦地。
- 浮碧楼(プビョンル):大同江に接した城壁上の楼閣。もとは高句麗の永明寺の一部。1614年再建。
- 清流亭(チョンリュジョン):大同江に接した城壁上の楼閣。
- 七星門(チルソンムン):丘陵の西南の門。もと城市の北門で義州に向かう街道の起点。1712年修復。
- 玄武門(ヒョンムムン):乙密台と最勝台の間の、丘陵北端の門。日清戦争の際の最激戦地。
- 転錦門(チョングンムン):丘陵の東、大同江に接した城壁の門。1959年修復。
- 永明寺(ヨンミョンサ)跡地:高句麗時代から牡丹峰にある仏教寺院だが、朝鮮戦争の空爆で失われ石塔だけが残る。
