猿ヶ京関所
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歴史
「星野氏代々覚書記」によれば、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い後に上杉景勝の関東への侵入を防ぐために越後口に設置された関所として猿ヶ京の名が挙げられている。しかしこの時に設けられた関所は一時的なものに過ぎなかったと考えられている[7]。
「須川村古記録」によれば寛永8年(1631年)に江戸幕府が検使を派遣して関所を設置したとされており、関所の開設時期としてはこれが有力視されている[8][9]。
ほかには「猿ヶ京関所明細記」に見える万治2年(1659年)設置説があるが、寛永9年(1632年)の湯檜曽番所の開設よりも遅くなるため、疑問が呈されている[1]。
三国街道が上越国境の幹線となり、猿ヶ京関所が設置されたため、最短ルートである清水峠越え道は通行が禁止され、湯檜曽(みなかみ町湯桧曽)に口留番所が置かれた[10][11]。
当初は沼田藩主・真田氏によって管理されていたが、天和元年(1681年)に真田信利が改易されたため、それ以降は幕府代官の管理下に置かれた。関所番人は真田氏の旧臣4家(片野・戸部・高野・木村)が世襲し、それぞれ切米20俵2人扶持が与えられ2人ずつ30日交替で勤務した[12][13]。


