玉篇
中国南北朝時代に編纂された漢字字典
From Wikipedia, the free encyclopedia
原本玉篇
543年に顧野王によって編纂された元々の『玉篇』のことを、とくに原本玉篇と呼ぶ。
収字数は16,917字 [注 2]。体例は、まず字音を反切によって示し、経書およびその注釈書から大量の引用を行って字義を示し、さらに顧野王自身の考えを「野王案」として加えることもある。さらに異体字があるときはそれを列挙して、それらがどの部首にあるかを記している。この膨大な説明は『説文解字』の極端に短い説明と対照的である。
原本玉篇は中国では滅んでしまい、日本にいくつか残巻が残る。これらの残巻は国宝になっている。現存するテキストは巻八・九・十八・十九・二十二・二十四・二十七の一部で、親字は全部あわせて約2,100字であり、全体の約12%にあたる。
空海が編纂したといわれる『篆隷万象名義』は、篆書部分を除いて親字の配列が原本玉篇残巻と一致し、説明も玉篇から抜き出したもので、これによって原本玉篇の全体像をある程度知ることができる。
清末に日本に残る漢籍を収集した黎庶昌・楊守敬らによって出版された『古逸叢書』に原本玉篇が含まれ、中国でも広く知られるようになったが『古逸叢書』本は原本の影印ではなく模写本によっているために問題が多い。中華民国にはいると羅振玉が新たに『原本玉篇残巻』を影印出版した。日本では1930年代に東方文化学院から影印本が出版されている。
原本玉篇は編纂後間もなく蕭愷らが改訂したといい [注 3]、また唐代の674年に孫強によって字数を増補されたという [注 4]。孫強本(上元本)も現存しないので、日本の残巻が孫強以前のものなのかどうかははっきりしない。
大広益会玉篇
後世への影響
注
- たとえば巻九は口で行う動作に関する「言・曰・音・告・欠・食」などが集められている(「口」自体は巻五に「舌・歯・牙・彡」など頭部の器官として集められている)。
- 『大広益会玉篇』の巻頭に「唐上元元年甲戌歳四月十三日、南国処士富春孫強増加字」とある。
