玉腰忠義

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国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 (1920-03-15) 1920年3月15日
没年月日 (1957-01-16) 1957年1月16日(36歳没)
玉腰 忠義
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 (1920-03-15) 1920年3月15日
没年月日 (1957-01-16) 1957年1月16日(36歳没)
身長
体重
165 cm
56 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手投手
プロ入り 1940年
初出場 1940年3月16日
最終出場 1950年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

玉腰 忠義(たまごし ただよし、1920年3月15日 - 1957年1月16日)は、愛知県出身のプロ野球選手外野手)。甥は川合幸三[1]

愛知県商業学校では1937年第14回選抜中等学校野球大会へ出場。東洋産業を経て、1940年黒鷲軍へ入団。1943年に応召し、1947年金星スターズでプロへ復帰。

1949年阪急ブレーブスへ移籍するが、シーズン中に結核を発病。1950年はチーム事情から病を押して23試合に出場したが、以後療養生活を余儀なくされ、現役を引退。復帰できないまま1957年に死去した。享年36。

バントの名手として知られ、1949年度には14犠打を記録。俊足攻守強打の選手であった。

詳細情報

脚注

関連項目

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