珍島郡
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略歴
1980年には8万3300人が住んでいたが、30年を経て人口は半分以下に減少している。とくに1980年代後半の5年間では人口の3分の1(約1万8000人)の流出が見られた。現在もこの減少傾向は止まっていない。
年表
- 百済時代 -「因珍島郡」と称された。
- 新羅時代 - 武珍州に属し珍島県が置かれた。
- 940年 - 高麗王朝により珍島郡が設置される。
- 1270年 - 三別抄が珍島に本拠を置き、モンゴルに抗戦。
- 1350年 - 倭寇の侵入を受け、郡民は本土に避難。高麗王朝は島を放棄。
- 1437年 - 朝鮮王朝が珍島郡を再設置。
- 1597年 - 珍島と本土との間の鳴梁海峡で鳴梁海戦が行われる。
- 1895年 - 地方制度改革により、本土の一部を含む17面を管轄する郡となる。
- 1906年 - 本土の命山面が霊岩郡に編入、三寸面が海南郡に編入。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、珍島郡の一部(都草面)が務安郡に編入。珍島郡に以下の面が成立(7面)。
- 府内面・古郡面・郡内面・義新面・臨淮面・智山面・鳥島面
- 時期不明 - 府内面が珍島面に改称(7面)。
- 1963年1月1日 - 鳥島面の一部(馬津島里)が務安郡長山面に編入(7面)。
- 1973年1月25日 - 木浦から珍島へ向かっていた連絡船が知山面深東里の沖合で暗礁にぶつかり沈没。死者行方不明62人[3]。
- 1973年7月1日 - 郡内面の一部が珍島面に編入(7面)。
- 1979年5月1日 - 珍島面が珍島邑に昇格(1邑6面)。
- 1983年2月15日(1邑6面)
- 鳥島面の一部(加沙島里の高沙島・平沙島・松島)が新安郡新衣面に編入。
- 鳥島面の一部(晩才島里)が新安郡黒山面に編入。
- 1984年10月 - 珍島大橋開通。
- 1987年1月1日 - 臨淮面の一部が珍島邑に編入(1邑6面)。
- 1990年 - 新安郡長山面の一部(小楮島・斫刀島・松島・骨島・戯魚島)が珍島邑に編入(1邑6面)。
- 2014年4月16日 - 鳥島面観梅島沖でセウォル号沈没事故が発生。
- 2021年7月5日 - 集中豪雨により住宅など49棟が浸水、農地5149ヘクタールが浸水する被害[4]。
行政

郡庁舎は珍島中央部の珍島邑城内里に所在する。郡守は朴連洙(パク・ヨンス/박연수)。
1邑6面がある。珍島本島にはこのうち1邑5面が置かれており、下鳥島に面事務所がある鳥島面は加沙島など離島部を管轄する。
| 邑・面 | 法定里 |
|---|---|
| 珍島邑 | 校洞里、南洞里、東外里、山月里、城内里、寿域里、水流里、双井里、念丈里、浦山里、海倉里 |
| 古郡面 | 古城里、金界里、内山里、道平里、碧波里、石峴里、五柳里、五山里、遠浦里、芝幕里、香洞里 |
| 郡内面 | 羅里、鹿津里、徳柄里、屯田里、粉土里、細登里、松山里、龍蔵里、月加里、亭子里 |
| 義新面 | 巨龍里、九子島里、金甲里、敦地里、晩吉里、茅島里、斜川里、松亭里、連珠里、玉垈里、昌浦里、青龍里、草四里、七田里、枕渓里 |
| 臨淮面 | 高亭里、屈浦里、南洞里、鳴瑟里、白洞里、鳳翔里、巳嶺里、三幕里、上万里、石橋里、蓮洞里、龍虎里、竹林里 |
| 智山面 | 加峙里、加鶴里、巨済里、古野里、観馬里、吉隠里、宝田里、三堂里、素浦里、松湖里、深洞里、鸚鵡里、五柳里、臥牛里、仁智里 |
| 鳥島面 | 孟城里、礖尾里、新陸里、倉柳里、加沙島里、観梅島里、観沙島里、内並島里、訥玉島里、大馬島里、独巨島里、東巨次島里、羅拝島里、孟骨島里、茅島里、城南島里、西巨次島里、小馬島里、玉島里、外並島里、竹項島里、進木島里、青藤島里 |
警察
消防
- 海南消防署
- 珍島119安全センター