琉球菓子

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琉球菓子の盛合せ(上:鶏卵糕、左下:ちんすこう、右下:闘鶏餃

琉球菓子(りゅうきゅうがし)は、琉球王国で王家の祭事や接待に用いられていた菓子[1]中国日本の影響を強く受けたとされ、100種類以上の菓子があった[1]亜熱帯の気候のため、保存性の高い揚げ菓子や焼き菓子が多い[2]

琉球王国には永楽2年(1404年)から同治5年(1866年)までの間に23回の冊封使が中国より訪れており、これに帯同した中国の料理人から琉球王家の料理人に菓子を含む調理の技術が伝わった[1]。また、琉球国王が交代する際には任命を受けるための使いが中国に派遣され、そこでも同行した料理人が調理を学んだという[1]

1609年琉球侵攻によって薩摩藩に従属して以降は、毎年鹿児島に派遣される年頭使や、江戸幕府征夷大将軍即位や琉球国王即位の際の江戸上りの使節団に随行した料理人が、鹿児島や江戸で菓子を含む日本料理の技術を学んでいる[3]。日本料理の技術は、在番奉行所の薩摩藩役人の接待にも用いられた[3]

これらをベースに沖縄の風土に合わせた琉球菓子が生まれ[2]琉球処分によって1879年に琉球王国が消滅すると、王家の料理人が市中で働くようになって庶民にも広まっていった[1]現代でも行事食などとして用いられることがある[2]

代表的な琉球菓子

脚注

参考文献

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