田中宏和 (野球)
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桜井商業高校(現在の奈良県立奈良情報商業高等学校)への在学中は春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁であったが、3年時(1994年)夏の県大会では3回戦で智辯学園のエース福井敬治と投げ合うと自らの決勝打で勝利、決勝では天理高校に本塁打の1点で敗れた[1]。
140km/h台後半のストレート、カーブ、スライダーを投げ分けられる大型投手との評価を背景に、1994年秋のNPBドラフト会議で近鉄バファローズから1位で指名。嘉㔟敏弘への独占交渉権をオリックスブルーウェーブとの指名重複による抽選で逃したことに伴う再指名(いわゆる「外れ1位」)だったが、桜井商業高校の出身者としては駒田徳広内野手(在学中は投手で1980年のNPBドラフト会議2位指名を経て読売ジャイアンツへ入団)以来3人目のプロ野球(NPB)選手だった。
近鉄在籍中は一軍公式戦への登板に至らず、1999年限りで現役を引退。
引退後は、製造業を営む会社へ勤務している。