田島翔

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カタカナ タジマ ショウ
ラテン文字 TAJIMA Sho
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-04-07) 1983年4月7日(42歳)
田島 翔
名前
カタカナ タジマ ショウ
ラテン文字 TAJIMA Sho
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-04-07) 1983年4月7日(42歳)
出身地 北海道北斗市
身長 168cm
体重 62kg
選手情報
在籍チーム マダガスカルの旗 FCルージュ
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1999-2001 日本の旗 函館工業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002 シンガポールの旗 クレメンティ・カルサ
2003 日本の旗 海邦銀行SC
2004-2007 日本の旗 FC琉球
2009-2010 日本の旗 ノルブリッツ北海道
2012 日本の旗 ロアッソ熊本 0 (0)
2014 ニュージーランドの旗 オークランド・シティFC
2015 日本の旗 十勝フェアスカイFC
2016 アメリカ合衆国の旗 マイアミ・ユナイテッドFC
2017 アメリカ合衆国の旗 ラスベガス・シティFC
2018-2019 大韓民国の旗 ソウル・ユナイテッドFC
2020-2021 サンマリノの旗 SSペンナロッサ
2024-2025 ブラジルの旗 ポルトゲーザ・ロンドリネンセ
2025- マダガスカルの旗 FCルージュ
通算 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

田島 翔(たじま しょう、1983年4月7日 - )は、北海道北斗市(旧・上磯町)出身のサッカー選手、プロ競技麻雀団体・RMU所属のプロ雀士

ポジションはミッドフィールダーで、サイドハーフボランチでプレーすることが多い。

小学生の頃は野球部でピッチャーを務め、サッカーは5年生の時にサッカーチームができ並行してプレー[1]。中学生からはサッカーに専念するが、北海道函館工業高等学校では実績を残せなかった[1]

卒業後はサッカー留学でシンガポールへ渡る。 帰国後、2003年にラモス瑠偉を中心に立ち上げたFC琉球の入団テストを受け、合格[2]。2005年の九州サッカーリーグ開幕前の練習試合で相手選手のタックルを受け、開放骨折の大怪我を負う。2007年オフに契約満了で退団[1]

その後はクロアチア、スペインへ渡ったが、2011年の東日本大震災をきっかけに帰国を決意。

2012年、J2リーグロアッソ熊本に入団[3]

ロアッソ熊本退団後はフットサル転向を希望し、シュライカー大阪に入団。

その後シュライカー大阪を半年で退団し、2014年にニュージーランド・フットボールチャンピオンシップオークランド・シティFCに入団。再びサッカー界に復帰した。

2015年、北海道サッカーリーグの十勝フェアスカイFC(現:北海道十勝スカイアース)に加入[4]

2016年、当時NPSLに参戦していたアメリカ合衆国マイアミ・ユナイテッドFC英語版に移籍。元ブラジル代表アドリアーノ[5]、またカフーの息子とチームメイトであった。

2017年、同国UPSL英語版のラスベガス・シティFCと契約。ラスベガス初の日本人選手としての加入。UPSL開幕戦でゴールを決めデビュー戦勝利を飾る。日本とラスベガスを何度も往復しているうちに、空港の入国審査に引っかかり、留置所へ連行された経歴を持つ[6]

2018年7月、当時K3リーグベーシック(3部ではなく5部相当)に参戦していた韓国のソウル・ユナイテッドFC(現:ソウル蘆原ユナイテッドFC朝鮮語版)へ移籍[7][8]。翌年からは選手と兼任でコーチにも就任[9]

日韓関係悪化の影響で、2020年は自身がアドバイザーを務める函館社会人リーグの FC函館ナチャーロ に移籍[10]。同年6月、FC函館ナチャーロの退団とヨーロッパ挑戦を発表。自らのTwitterで新型コロナウイルスの影響により、収入源であるサッカースクールの規模縮小が理由と語っている[11]

2020年12月、サンマリノ・カンピオナート・サンマリネーゼSSペンナロッサに入団。同リーグでプレーするのは日本人初[12]。2021年5月までプレーした。

2022年7月、プロ競技麻雀団体RMUの入会試験を受け合格。12月には、Jリーグ初代チェアマンで、Mリーグ最高顧問を務める川淵三郎へRMUに入会したことを報告している。

2024年11月、ブラジルのカンピオナート・パラナエンセに所属するポルトゲーザ・ロンドリネンセと契約、同クラブでダイレクターも務めた。小学生の頃、卒業文集に「ブラジルでプロになる」と書いた夢が、41歳にして叶った。

2025年7月、マダガスカル1部リーグのFCルージュに加入、同国リーグでプレーする初の日本人選手となった[13]

経営者、アドバイザーとして

  • 2011年、スペインから帰国後、地元北斗市に小学生のクラブチーム「FC北斗アステリスモ」を設立[14][15]
  • 2017年函館市からJリーグを目指すことを目標に設立されたFC函館ナチャーロのチームアドバイザーに就任[16]
  • 2017年、函館市と北斗市を拠点とするサッカースクール「フットライズサッカーアカデミー」を設立[17]
  • 2021年、熊本県の開新高等学校サッカー部の外部コーチ。

その他

  • 2020年、サッカー・フットサルブランドのKELMEとサプライヤー契約を締結[18]
  • 憧れのプレーヤーはサッカーでは三浦知良、麻雀では多井隆晴である。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012熊本28J200-0000
通算日本J2 00-0000
総通算 00-0000

脚注・出典

関連項目

外部リンク

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