田村丈
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育成選手時代(2017年2月21日、宜野湾市立野球場にて) | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | 兵庫県尼崎市 |
| 生年月日 | 1992年11月20日(33歳) |
| 身長 体重 |
185 cm 89 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2015年 育成選手ドラフト3位 |
| 初出場 | 2018年8月1日 |
| 最終出場 | 同上 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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| 基本情報 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| ポジション | ワイドレシーバー | ||||
| 生年月日 | 1992年11月20日(33歳) | ||||
| 国籍 |
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| 出身地 | 兵庫県尼崎市 | ||||
| 身長 | 185cm | ||||
| 体重 | 88kg | ||||
| 経歴 | |||||
| 初出場チーム | イコールワン福岡SUNS | ||||
| 所属歴 | |||||
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田村 丈(たむら じょう、1992年11月20日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。元アメリカンフットボール選手(ワイドレシーバー)。
プロ入り前
関大北陽高校では1年まで内野手をやっていたが、2年になって投手に転向した[1]。甲子園出場はなし。
関西学院大学では1年時から登板機会があったが、その後は腰のケガなどもあって戦線を離れる期間が長く[1]、リーグ通算は11試合に登板、0勝2敗、防御率3.57。4年時に横浜DeNAベイスターズと広島東洋カープの入団テストを受験したが、不合格となった[2]。その後大学を留年してトレーニングジムに通い、再び横浜DeNAベイスターズの入団テストを受験し合格[1]。2015年のプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから育成3巡目指名を受け、11月15日に支度金300万円、年俸360万円で(金額は推定)で仮契約した[3]。背番号は「103」。
DeNA時代
2016年、2軍で8試合に登板し2勝1敗、防御率4.09[4]。
2017年、主に先発として2軍で18試合に登板し3勝8敗、防御率4.78だった。
2018年、中継ぎに転向すると、2軍戦で好投を重ね、7月26日に支配下登録されることが発表された[5][6]。背番号は「92」。8月1日に一軍登録されると、対読売ジャイアンツ16回戦(横浜スタジアム)で一軍デビューを果たした。秋には台湾のウィンターリーグに参加するも、その際に投球フォームを崩す[7]。
2019年、一軍キャンプに呼ばれるも、イップスっぽくなったと語る[7]。5月になるとストレスで十二指腸潰瘍を発症し入院[7]。そのまま一軍登板はなく、10月1日に戦力外通告を受けた。10月21日に現役引退を表明した[8]。
現役引退後
2020年からは、横浜DeNAベイスターズが運営するベースボールクラブのコーチに就任[9]。それと並行して、国吉佑樹の自主トレに参加するなどして筋肉トレーニングを行っていた。
2021年7月2日、自身のInstagramにおいて選手時代を含めて5年半在籍した横浜DeNAベイスターズを退社した事を発表。
アメリカンフットボール転向
2021年、元DeNAでイコールワン福岡SUNSのチーム関係者である山下峻からの推薦を受けトライアウトを受験し、合格[10]。ワイドレシーバーとしてチームに加入した[11]。背番号はベイスターズ時代と同じ「92」。
9月11日のXリーグ第2節のアズワンブラックイーグルス戦で初レシーブを記録、14ヤードを獲得した[12]。
2024年1月1日に自身のSNS上で福岡SUNSからの退団を発表した。
福岡SUNS退団後は2023年8月から立ち上げていた一般社団法人アスリートプロの代表理事を務める[13][14]。また、2024年にスカウトされたのを機に福岡県内でモデル活動をしている[14]。