甲塚古墳 (下野市)

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所属 しもつけ古墳群(飯塚・国分寺地域)
所在地 栃木県下野市国分寺847
位置 北緯36度23分1.80秒 東経139度48分18.15秒 / 北緯36.3838333度 東経139.8050417度 / 36.3838333; 139.8050417座標: 北緯36度23分1.80秒 東経139度48分18.15秒 / 北緯36.3838333度 東経139.8050417度 / 36.3838333; 139.8050417
形状 帆立貝形古墳(下野型古墳)
甲塚古墳

墳丘(中央に後円部、左に前方部)
所属 しもつけ古墳群(飯塚・国分寺地域)
所在地 栃木県下野市国分寺847
位置 北緯36度23分1.80秒 東経139度48分18.15秒 / 北緯36.3838333度 東経139.8050417度 / 36.3838333; 139.8050417座標: 北緯36度23分1.80秒 東経139度48分18.15秒 / 北緯36.3838333度 東経139.8050417度 / 36.3838333; 139.8050417
形状 帆立貝形古墳(下野型古墳)
規模 墳丘長80m
埋葬施設 横穴式石室
出土品 須恵器土師器埴輪
築造時期 6世紀後半
史跡 なし
有形文化財 出土品(国の重要文化財
地図
甲塚古墳の位置(栃木県内)
甲塚古墳
甲塚古墳
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甲塚古墳(かぶとづかこふん)は、栃木県下野市国分寺にある古墳。形状は帆立貝形古墳。しもつけ古墳群(うち飯塚・国分寺地域)を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない[1]。出土品は国の重要文化財に指定されている。

しもつけ古墳群(飯塚・国分寺地域)
古墳名形状規模築造時期史跡指定
摩利支天塚古墳前方後円墳墳丘長120m5c末国史跡
琵琶塚古墳前方後円墳墳丘長123m6c初頭国史跡
吾妻古墳前方後円墳墳丘長128m6c後半国史跡
甲塚古墳帆立貝形古墳墳丘長80m6c後半なし
愛宕塚古墳前方後円墳墳丘長78.5m6c末県史跡
山王塚古墳前方後円墳墳丘長89m6c末-7c初頭なし
丸塚古墳円墳直径65m7c前半県史跡
埴輪群(国の重要文化財
しもつけ風土記の丘資料館展示(他画像も同様)。

栃木県南部、下野市西部の姿川思川に挟まれた台地上に築造された古墳である。台地上では、本古墳のほかにも摩利支天塚古墳琵琶塚古墳吾妻古墳をはじめとする大型古墳の分布が知られる。本古墳では18831893年明治16・26年)に発掘がなされて旧状が損なわれているほか[1]、考古学的には数次の発掘調査が実施されている。

墳丘は前方部が短小な帆立貝形の前方後円形で、前方部を南方向に向ける[2]。墳丘は2段築成で、特に1段目は平坦な基壇状を呈し、下野地域特有の「下野型古墳」の特徴を示す。墳丘長は推定約80メートル、主丘(ほぼ完全な円形)は直径61メートルを測る[2]。墳丘第1段の平坦面中央部には円筒埴輪列が巡らされる[2]。また第2段のくびれ部付近において形象埴輪(人物形・馬形埴輪など)が出土しており、特に埴輪群は当初の位置・向きまで良好に遺存する点、全国初の機織形埴輪の出土の点、一部の埴輪に彩色の残る点で注目される[3][4]。埋葬施設は凝灰岩製の横穴式石室で、前方部前面において南方向に開口する[2]。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[2]

出土品は2017年平成29年)に国の重要文化財に指定されている。なお付近では、後世に下野国分寺が隣接して建立されている。

埋葬施設

埋葬施設としては凝灰岩製切石による横穴式石室が構築されており、前方部前面において南方向に開口する。現在までに損壊されているが、推定復元される石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:4.2メートル - 墓道を含めると約9メートル。
  • 玄室:長さ3.0メートル、幅2.0メートル、高さ1.9メートル
  • 羨道:長さ0.6メートル

文化財

重要文化財(国指定)

  • 栃木県甲塚古墳出土品(考古資料) - 下野市立しもつけ風土記の丘資料館保管。2017年(平成29年)9月15日指定[5][6][7]
    • 機織形埴輪 2点
    • 人物埴輪 17点
    • 馬形埴輪 4点
    • 須恵器 58点
    • 土師器 16点
    • 附 埴輪残欠 4点

関連施設

  • しもつけ風土記の丘資料館(下野市国分寺) - 甲塚古墳の出土品を展示。

脚注

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

関連項目

外部リンク

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